2014年12月31日水曜日

31,Dec.2014 I would like to wish all of you A Very Happy New Year !

毎年のことですが、今年も長くて短かった年でした。

2年前に定年になって、再び海外でバレーボールの指導をしようと思っていました。そして、今年の4月にカンボジアの男子バレーボールナショナルチームのお話があり、5月末からカンボジアのプノンペンに住んでいます。

きょうは、大晦日(おおみそか)ですが、南国のカンボジアでは、年の瀬という感じはありません。
この国のお正月は、4月中旬にあるからです。ですから、この時期は単純に年が改まるというだけで、普段通りの生活です。一応、元旦の明日だけは、国中お休みで、勤め人は実家に帰ります。

普段練習を見ている、内務省のチーム(選手達は全員が見習い警官)も元旦だけ休んで、2日、3日と練習します。2日の夜は、選手達を市内のバーベキュー料理店に招待しています。

予算は、1人$12。若い選手達には、お腹いっぱい肉料理を食べさせてあげたい。一般的に、カンボジア人はスリムです。体形を気にして、食事制限しているわけではなく、貧しさゆえに、日常の食事のカロリーが足りないのです。

昨日で夜の英語学校での約3週間47時間の英語の特別講習が終了しました。終了テストの結果は、進級でした。レベル分けは、12段階で、私の進級する次のレベルは8になります。Speaking(会話)能力は、上達しています。Grammer(文法)、Writing(書くこと)そしてListening(聞くこと)は、まだ並みというレベルです。

さて、今日も、午後から練習です。日本では、練習納めになりますね。

皆様も、良いお年をお迎えください。

2014年12月30日火曜日

30,Dec.2014 年の瀬の実感がない・・・

きょうは12月30日。明日で今年も終わりだ。

しかし、ここカンボジアでは年の瀬という感じがしない。自宅では短パンに半袖といういでたちで過ごしている。外出の時も長ズボンに半袖。気温は、朝が25度、日中は30度近くまで上がる。だからという訳だけではない。

カンボジアにおいて、1年で最大のイベントは、4月中旬にあるカンボジア正月なのだ。カンボジアで、1月1日は、単に年号が変わるだけで、お休みもこの日だけで2日から平常に戻る。

従って、2014年の私のバレーボール指導も明日までいつもの通り行う。

1月からはナショナルチームの合宿も再開される。ナショナルチーム選手への月の手当てが、1月から毎月、6月末に解散するまで青年・教育・スポーツ省から支給されることが決まったからだ。

練習会場も食事も宿舎も、正直言って、とてもナショナルチームが活動するレベルの環境ではない。日本の小学生バレーの合宿環境以下である。しかし、今は、現状の環境で努力するしかない。現状への不満を言うことで環境が変わるわけではない。今の環境で、結果を出し続けることが、環境を改善していく最善の道と思っている。

僅かでも、着実に歩んでいきたい。

2014年12月29日月曜日

29,Dec.2014 航空機惨事がまた起きた

AirAsia(エアーアジア)機が乗客と乗員合わせて162名を乗せたまま洋上で行方不明になった。

昨日は日曜日ということもあり、TV(CNNというアメリカのケーブルテレビ)をずっと見続けていた。CNNはニュース報道番組なので、一日中、この惨事を報道し続けた。

AirAsia機には、先月、私もタイランドのバンコクに行ったときに搭乗した。15年ほど前に設立された航空会社で、これまでは無事故記録を更新していた。航空運賃が安いことでも人気のある航空会社である。価格が安いだけに、多くの人を乗せるために、前後の席の間隔は狭く、体格の良い乗客には窮屈そうであったことを覚えている。

今年になって、アジアにおいて航空機惨事は、これで3回目である。3月の行方不明、7月のウクライナ上空での撃墜。3回ともマレーシアの航空会社であるのは、単なる偶然なのか。

今年の世界の航空機惨事で亡くなった方は、約900名。航空機惨事では、一般的に乗客はほとんど助かっていない。多くの人命が、多くの人生が一瞬にして消滅してしまう。新聞報道によれば、到着先のシンガポールで、婚約者を待っていて、今回の悲報を聞いた人もいた。

惨事の原因は何なのか、飛行機そのものなのか、パイロットなのか、システムなのか、他の何かなのか。

ともあれ、1人でも多くの生存者がいることを祈るのみです。

2014年12月27日土曜日

27,Dec.2014 忘年会にワニが?

忘年会と言えば、鍋料理を囲んでの1年間のお疲れさん会を意味する。

ここカンボジアにも鍋料理がある。昨夜は、普段お世話になっている方達からお声をかけて頂き、プノンペン市内にある中華料理店に7人が集まった。

途中から、鍋に入れる材料が鹿の肉と、そしてなんと鰐(ワニ)の肉が出てきた。カンボジアの奥地に行くと、川に鰐が生息しているという。ワニの肉は、魚の刺身のようにややピンク色が入った白い色であった。

カンボジアには、川イルカも生息しているし、タイランドとの国境地域には象もいる。まだまだ
知らないことが多い。バレーボールの指導の合間に、この国の豊かな自然に触れることも、より良くカンボジアという国を理解することにつながると思っている。

2014年12月26日金曜日

26,Dec.2014 後輩はありがたい

昨夜はクリスマス。我がアパートメントでもクリスマス・パーティが催された。

やって来たのは、カンボジアに派遣されている青年海外協力隊隊員たち。つまり、私の後輩たちである。地方から出てきている隊員もいた。5時ごろから料理の材料を数名の後輩たちが持ち込み始め、にぎやかに料理が始まった。

よく観察していると、調理しながらも、その間にお喋りしながら試食している。私が密かに狙っていたイカの煮物は、最終テーブルに出ることなく、台所で完食となり、私の口に入ることはなかった。残念・・・。

7時過ぎには、調理も完成し、ケーキも持参されており、全員で8名が揃いパーティが始まった。

12月末のこの時期、日本では若者たちはクリスマスパーティ、私のようなオジサンたちは、忘年会シーズンたけなわである。ここカンボジアで、私たちは、皆、半袖で部屋に冷房クーラーを入れている。何か不思議な感覚である。

私の冷蔵庫の中にあるビール、ワイン、日本酒もきれいにカラにしていただいた。自己紹介から他己紹介に移り、最近の話題を話したり楽しい時間を過ごさせて頂いた。

私の本棚にある映画DVDや日本から持ってきた本も貸出し、役に立って良かった。

数カ月に1回、地方からの後輩隊員たちが首都プノンペン市にやってくる時に、またこのような食事会ができたら良い。たくましい後輩たちに囲まれて、昨夜は本当に楽しかった。

ありがとう!   

2014年12月25日木曜日

25,Dec.2014 カンボジアの村でHIV陽性患者が100名以上

私の住む首都プノンペン市から車で5時間ほどのところにバッタンバンという町がある。バレーボールの盛んな土地で、ここの警察クラブチームは、国内最強のチームでもある。ナショナルチームにも3名が選出されている。

そのバッタンバンという町の近くの村でHIV感染者が140名出た。既に死亡している人も数名いる。

原因は、村で20年以上、村人の健康を守ってきた医師が注射針を複数の患者に使い回ししたということが今日の新聞で発表されていた。HIVの感染経路は3つある。性交渉感染(Sexual trancemission)、血液感染、母体(母乳)(Mother -to-trancemission)からの乳児への感染。今回は、使い回しした注射針からの血液感染の可能性が大である。その医師は1980年代に難民キャンプで治療者としての教育を受けたが、正規の医者としての免許は持っていなかった。

我々も知識として持っておきたいのは、HIV感染 = エイズ ではないということである。

HIVとは、ヒト免疫不全ウイルス (Human Immunodeficiency Virus)の頭文字を取ったもので、ウイルスの名前。一方、エイズ (AIDS) とは、後天性免疫不全症候群 (Acquired Immunodeficiency Syndrome) の略称で、HIVに感染した人が、免疫能の低下により引き起こされる23(専門的過ぎて疾患名を覚えられない)の合併症のいずれかを発症した状態のことをいう。

HIVに感染していても、この23疾患のいずれかを発症しない限りはエイズとは言えない。つまりHIVはエイズの原因となるウイルスの名前で、エイズはHIVによって引き起こされる病気の総称である。

予防薬はまだ完成されていない。治療薬(抗HIV薬)はあるが、HIVを完全に排除できるものでなく、数種類の薬を一生飲み続けなくてはならない。

カンボジアはHIV/AIDS対策で高い評価を受けてきており、国家エイズ対策局によると2013年に0.6%だった同国の15~49歳のHIV感染率は2014年には0.4%に下がっている。現在、カンボジアには推定7万3000人以上のHIV感染者がいるとされている。

我々は文明を築き上げてきた。その反面、心身に新たな病気も発生してきた。以前は、鳥など一部の動物間だけしか感染しなかったウイルスが何らかの原因で変化して人間にも感染する例も出てきた。エボラ熱も現在終息に向けて各国が協力して封じ込めようとしている。

「OUTBREAK(突然発生)」という映画が、ダスティホフマン主演で10年前に上映されたが、目に見えないウイルスで感染していく病気ほど恐ろしいものはない。国家間の戦争でも使用禁止になっている。

62年間もこの世に生かされている私であれば、病気でぽっくりとあの世に行っても、まあしょうがないか、と思うが、生れて間もない幼児や将来のある子供たちまで人害でHIVに罹り、死亡したり、一生涯、治療薬を飲み続けなければならない現実を思うと悲しくなる。

現在、治療や感染拡大に対処されているWHOをはじめ国境なき医師団などの関係者に敬意を表するとともに、病理学、医科学研究者など予防・治療薬を開発されている方々に成果の発表を期待するところ大である。

追記)WHO(the World Health Organization)から派遣されている調査団のリーダーは、Dr.Masami 
    Fujitaということが判った。おそらく日本人だと思う。誇りに思う。

2014年12月24日水曜日

24,Dec.2014 練習用テキストの作成に着手

カンボジア人コーチ用にテキストブックを作成することにした。まずは、第1版の作成である。

(まずは表紙と1ページ目ができた。今後、画像はカンボジアのナショナルチームメンバーを活用していく。私の拙い英文も添削してもらわねばならない。さらに英文からカンボジア語に訳してもらわねばならない)

カンボジアバレーボール連盟の組織の中には、まだ指導普及委員会とかコーチ委員会、強化委員会といった組織がない。組織がないから、指導内容・方法も統一されていない。専門用語の統一もされていない。

この国の体育教員養成専門学校をJICAシニア隊員に案内して頂いたことがある。学校の施設もテキストもようやく整備されつつあるといったところであった。使っているテキストは日本の体育系大学で使用しているモノに画像を多く入れて具体化したものができていた。

この国のスポーツ科学に関しては、私もこの国の全てのスポーツ分野に精通しているわけではないので明確なことは言えない。但し、バレーボール連盟に関しては、少し言える。半年かけて各クラブの指導の現場を視察して言えることは、コーチの指導は経験主義からの指導が多く、スポーツ科学に裏付けされた指導は少ない、ということである。

ことし10月に国内で4年ぶり2回目に開催されたIOC主催、FIVB協力での「FIVB公認コーチレベルⅡコース」(2週間)においても、そのことが証明された。20数名の受講者(女性は1名)はカンボジアバレーボール界のトップレベル指導者である。しかし、FIVB国際バレーボール連盟公認の講師から説明される科学的な実証に基づく指導理論が良く理解できない。実技はできるが、なぜ上手にできているのか説明できない。つまり、答えは解っているのだが、答えにたどり着く過程がわからない。従って、指導は「俺の言う通りにやれば上手くなれる」というシンプルな指導がほとんどである。
(来年は、受講した全国の指導者の現場に行って、その地域でカンボジアバレーボール連盟主催のコーチ研修会を開催したい。受講者証も発行して指導者としての自覚を促したい)

指導者のプレーヤーとしての経験に基づく指導でも成果は出る。そこに、科学的な根拠を導入して指導することによって、更に成果は上がっていく。

そこで、私のできる範囲で、まずはすぐに役立つ練習用テキストブックを作って、国内で巡回指導をしながら配布して行こうと思い立ったわけである。

完成はいつになるかわからないが、できるかぎり国内の指導者と意見交換しながら第2版を編集して行きたい。その時の著者は、私でなくカンボジアバレーボール連盟と印刷する。

2014年12月23日火曜日

23,Dec.2014 The 1st Asian Men’s U23 Volleyball Championship

アジアで第1回目のU23(23歳以下)の男女バレーボール大会が開催される。
 
男子は、来年2015年5月12日から20日までミャンマーのネビドーで開催される。  23歳と言えば、シニアチームのメンバーも入ってる。東南アジア(11ヵ国登録)からもトップ4チームは出場するであろう。
 
カンボジアがベスト4に入るためには、ベスト4のチームの分析が必要だ。東南アジア大会での試合方式は、グループ戦では、Round Robin Tournament ラウンド・ロビン・トーナメント(総当たり式1回戦トーナメント:日本語の「リーグ戦」は、日本独特の用法で総当たり戦を意味するが、「リーグ」は、英語では単に「競技団体」を意味する)方式が採用される。ここでは、勝ち点が重要になるので、勝つには3-0で、負けるには2-3でという戦い方が必要になる。決勝トーナメントは、ノックアウト方式なので、とにかく勝てばよい。
 
翌月の6月上旬には、東南アジア大会がシンガポールで開催される。カンボジア男子チームはU23大会には、遠征費もなく出場しないが、東南アジア大会には出場する。今月の出場申込みに向けてカンボジアバレーボール連盟事務局も先週から動き始めている。
 
ミャンマーは、カンボジアから遠い国ではない。ライバルチームの視察と情報収集のために私がビデオカメラを担いで出かけていくことも計画している。
 
本番前にできる限りのことはしておきたい。  
 

 




16か国トーナメント 集中トレーニングを開始
12月15日、アジアバレーボール連盟は、来年、第1回男子U-23選手権をネピドーで開催することを発表した。

アジアバレーボール男子U-23
同大会は2015年5月12日から20日、ネピドーの Wunna Theikhti バレーボールスタジアムで開催される。大会にはミャンマーを含むアジアの16か国がエントリーし、トーナメント戦を繰り広げる。ミャンマーチームの選手12人は、すでに大会に向けて集中トレーニングを行っている。

この大会は、8月にドバイで開催される世界バレーボール選手権の予選大会も兼ねている。また、連盟では、シンガポールで開催される第28回 SEAゲームに向けて、良い経験となると見込んでいる。

当初の候補地イランは連盟からの制裁により開催キャンセルに
ネピドー開催決定の影には、開催候補地であったイランの存在がある。7月、イランで開催されたイタリア対イラン戦を観戦した女性が逮捕された。イランでは女性が試合を観戦することを禁じている。

家族や支持者が数十万の署名を集め、3万8,000ドルの保釈金を払ったことで彼女は解放された。しかし、この事件の後、バレーボール連盟はイランに対する制裁として、大会開催の中止を伝えたという。

(画像:アジアバレーボール連盟ウェブサイトより)


外部リンク

アジアバレーボール連盟
http://www.asianvolleyball.org/

アジアバレーボール連盟/男子U-23 チャンピオンシップ
http://www.asianvolleyball.org/volleyball

2014年12月22日月曜日

22,Dec.2014 余剰米のあるカンボジアに日本からお米の支援?

日本の地方新聞に次のような記事が載った。私は首をかしげた。

「食料不足に苦しむアジアとアフリカの国にコメを送り続けている団体が18日、県庁前でカンボジアに送る2012年産米の発送式を行った」

カンボジアの主産業は農業である(。しかしながら、労働生産性が低いため、農産物は国内需要を満たすに過ぎない。但し、主要穀物のお米の生産にに関しては輸出を行っている。そして、現在カンボジアでは200万トンの余剰米があるということである。

余剰米のある国に、何故、お米を日本から支援するのか、私は理解に苦しむ。確かに、カンボジアの1人当たりのGDPは世界102位の25万円(2013年統計)と貧しい国であるが、お米に関しては輸出するほど生産している。

余剰米があるというのは、国内の精米施設のインフラ整備が充分でなく、隣国のベトナム、タイに籾のまま輸出しているからだ。これに対し、カンボジア政府は、2010年8月に、「更なる米の増産と米輸出拡大を行い、2015年までに、精米した米を年間100万トン以上輸出する」の方針を打ち出している。

 
現在カンボジアでは200万トンの余剰米があるが、国内の精米施設のインフラ整備が充分でなく、隣国のベトナム、タイに籾のまま輸出している。これに対し、カンボジア政府は、2010年8月に、「更なる米の増産と米輸出拡大を行い、2015年までに、精米した米を年間100万トン以上輸出する」との方針を打ち出している。

昨日、英語の学習のためにVOAという英語学習者のためのアメリカの有名なサイトを覗いていたら、カンボジアのお米に関してのニュース記事が眼に入った。

RIC(Rice International Conference:世界米連盟)という団体が、今年も3年連続カンボジアとタイのお米が世界No.1と認定したという。評価の基準は良くわからないが、この賞は、世界のコメ生産の1%(2012年度)を担っているカンボジア米の輸出に関しては追い風になるであろうと論評していた。

更に記事を要約すると、カンボジアにおける米の生産規模は小さく、組織されていない。しかし、米生産はカンボジア経済にとって基幹産業である。多くの農業従事者は小さな耕作地にしがみついて生産活動をしている。

関係者が求めているのは、より良い種、より効率的な収穫の方法、より良い流通システム、そして世界の中でブランド米として認知されることだ。(ここで言葉上で注意しなければならないのは、「ブランド」という単語。日本では、「高級品」という意味にとられているが、本来の意味は「良く知られている」という意味である:渡邉の注)

カンボジアの輸出先は、主にEU(欧州連合)であり、今年は40万トンが輸出されている。


米の輸出政策は、国民の貧困層を削減し、都市部と地方の格差を是正するのに大事である。

中国からはカンボジアの米政策の支援に3億円借款(政府または公的機関の国際的な長期資金の貸借)がある。

しかし、カンボジアの米作農民たちが一番求めてるのは、単なるお金や施設ではなく、世界の中で他の農業輸出国と競争できるだけの品種改良された品質向上とマーケティングである。

そうしなければ、隣国のタイ米、そして最近輸出を増やしてきているミャンマーに対抗して行けないであろう。

以上が記事の要約である。

バレーボールにも通じるところがある。確かに日本からボールなどの寄贈品は、高価なボールを買えない子供たちには大変ありがたいことである。(但し、そのボールがバレーボール活動に使用されるとは限らないのであるが・・・)そして、更に求められているのは、バレーボールを指導する人間、コーチである。その意味で、来年は青年海外協力隊のバレーボール隊員が来てくれるように現在活動している。

また、日本の体育系大学のバレー部員達が冬休みなどを利用してカンボジアに来ていただいて子供たちやこの国の指導者を支援して欲しい。この時期のカンボジアは日本の6月の気候である。チームの合宿とカンボジアのバレーボール関係者との交流、そしてその活動が単位として認定されるような仕組みを各大学内でも作っていただけたら良いのであるが・・・。

2014年12月21日日曜日

21,Dec.2014 オーストラリアが男子ナショナルチームの監督を募集

オーストラリアバレーボール連盟が公式に男子バレーボールチームの監督を募集している。
(オーストラリア男子チームは今年の世界選手権大会にもアジアからイラン、韓国、中国とともに出場し15位であった。スタメンの平均身長は、2mを軽く超える)

契約期間は、2015年から2016年。任務は、2016年リオ・オリンピック出場権獲得と本番での活躍である。オーストラリア男子チームは2000年の自国シドニーオリンピック開催そして出場を契機に着実にレベルを上げてきた。

オーストラリア男子チームは、2012年のロンドンオリンピックにも最終予選(アジア予選含む)にて勝利し、アジアから唯一出場した。日本は、その時、オーストラリアに勝利したのであるが、他のチームに不覚を取って、予選グループでは第5位でオリンピック出場を逃がした。

募集の条件を読んでみた。

実は、これが現在の私の任務に大変参考になる。求められているレベルは、結構高い。まあ、これは、なににおいてもそうであろう。ハードルを高くして優秀な人材を求めるのは、人材獲得の常である。報酬金額が提示されていなかったが、それは申し込み者にだけ提示されるのであろう。

現在の世界ランキング1位を維持しているブラジル男子バレーボールチーム監督のベルナール氏の契約金は、数億円/年と聞く。 

既にオリンピックに出場している国よりも、私の場合は、これから強化していきたいという新興国に興味がある。意欲はあるので、指導者が欲しい、そういう国であればどこにでも行く。日本国内でも、4年以内に日本一を目指したいという新チームがあれば、是非ともお手伝いしたい。

その前に、勿論、ここカンボジアのチームを来年6月開催の東南アジア大会で4位に入賞させることが今の私の使命である。

20,Dec.2014 カンボジア料理

内務省警察クラブのアシスタントコーチでナショナルチームのコーチでもあるHim(ヒム)から夕食に誘われた。

夕方、私のアパートメントにチームのバスで迎えに来た。助手席に座っていたのは、彼の婚約者であった。年の頃、20歳代中頃。彼も、確か30歳半ばのはず、そろそろお金も貯まったことであろうから、結婚間近かも知れない。

二人とも英語ができない。私の方から、私が知っている限りのカンボジア語(現地の人はクメール語と呼ぶ)を話す。英語専門学校に来ている中流家庭以上の高校生や大学生の女の子達は、良く話す。お喋りともいえる。お喋りは世界中の女性の特権であるかも知れない。

女性が幸せを感じるときは、お喋りをしている時と食事の時であろうと私は思っている。そういう時に、私は彼女たちに声をかけない、お邪魔しない。

ここから、スポーツにおける男性指導者の女性を指導する場合の法則が考えられる。つまり、女性とのコミュニケーションには、まず相手の女性に喋らせること。決して、話の途中に遮ってはいけない。常に女性への質問と頷きが必要だ。そして、お口に入れる甘いものがあると、更にお口も滑らかに、饒舌になる。その時にできる女性達の脇の甘さに付け入り、男性指導者のアドバイスを柔らかく提示することで彼女たちの脳もあっさりと受け入れてくれる・・・場合もある。

さて・・・話を戻して、いつものバレーボール練習会場の近くに車は止まった。2ケ月前から、そこでは建設工事をしていたことには気づいていた。改めてあたりをよく見ると、そこには現代的なプールとスポーツジム、そしてガーデン・レストラントができていた。

バレーの練習会場は、コートと屋根と壁があるだけの粗末な会場だ。雨期には雨漏りがして練習できない。カンボジアでのバレーボールは屋外スポーツという認識がまだ高い。私の中学生時代は、毎日、外での練習であった。高校に進学して1年生の時に週三日体育館が使えた。高校3年生の時には毎日体育館が使えた。

カンボジアにおけるバレーボールのイメージは屋外スポーツの認識、日本の50年前のバレーボールなのだ。バレーボールはインドアスポーツである。明るくて、清潔で開放感のある体育館、いや体育室でよいので各地域に1つは欲しい。体育館の必要性を訴えていくのも私の仕事の1つだ。 

国の機関が、着手しないのであれば、私は、民間会社に、お手本になるような体育館を寄付で建てて頂くことを考えている。

バレーボールとバスケットボールの公式ゲームができるコートの広さと、観客席は300席ほどあれば良い。練習時は2コート取れて、公式試合時には移動式の観客席も加えて1コートにする。ナショナルチームや各クラブチームが合宿などで優先的に使えるようにする。勿論、普段は有料で一般市民に貸し出す。初心者教室も開催する。午前中は、こちらでも体形を気にしだしたママさんたちにバレーの指導も行う。ソフトバレーも指導したい。マシーンの揃ったトレーニング施設とレストラント設備も整える。勿論、ビジネス展開である。

忘れてならないのは、体育館の脇にはビーチバレーのコートを設営する。こちらは、さほど資金はかからない。無料にして、誰でも、いつでも、楽しんでもらえればよい。

そんなことを考えながら...カンボジア料理を楽しんで夜は更けて行った。

 

2014年12月20日土曜日

19,Dec.2014  アジアバレーボール界の明るい話題を1つ

タイ女子監督と中国女子ナショナルチームの元セッターが結婚。

数か月前にも一部のメディアで二人の婚約が取り上げられていたが、今度はアジアバレーボール連盟が報じたのだから真実だ。

12月6日に2人は結婚式を挙げた。新郎は、最近アジア女子バレー界において2013年のアジア選手権での2回目の優勝を含め、躍進著しいタイランド女子バレーボールチーム監督を務めるKiattipong Radchatagriengkai。長い名前だが、日本語ではキャテポン・ラッチャタギャングライと読む。

新婦は、画像を見て頂くとわかると思うが、中国ナショナルチームのセッターを務めた馮坤である。日本語読みだと「ひょうこん」英語だと Feng Kunと書く。彼女は15歳でナショナルチームに入り、セッターとして、またキャプテンとして2004年のアテネオリンピックでの金メダル獲得など2011年まで現役選手として活躍した。


身長183cmで最高到達点319cmの高さを生かしたスピードあるセット(トス)の技術は素晴らしいものであった。彼女のボールに触れる位置は、ほとんどネット上方であった。まさに、現代的なセッターのお手本でもあった。

結婚式を挙げたのだから、二人の年齢も公表してよいであろう。新郎は48歳、新婦は35歳。住まいはバンコク市。

実は、私も出席した、先月中旬にバンコク市で開催されたFIVB国際バレーボール連盟主催のセミナー「セッター」のモデルに彼女が加わる予定であったが、結婚式の準備で実現できなかった。しかし、近いうちに彼女の実技による講習会が開催されることは、間違いないであろう。

タイランド女子ナショナルチームは、これで新たに優秀なセッターコーチを得たということになる。タイランドの快進撃は、まだまだ続きそうだ。

翻って、我が日本バレー界で海外のトップ選手と結ばれたという話は、ほとんど聞かない。私が知っている限りでは、随分と古い話であるが、ハンマー投げの室伏選手(お父さんの方です)とハンガリーのやり投げ選手であったセラフィナさんの結婚ぐらいですね。おっと、これは陸上界の話であった。

秘密の話を公開しましょう・・・。
実は、私にも海外のトップ選手との結婚の話があったのです。私が20歳代の時に、東洋の魔女のキャプテンであった河西さんが、わたしにこう言ったのです。

「あなたね・・・顔はさほどでは・・・あらごめんなさい・・・私の長所は、本当のことを指摘するところなのホホホ・・・あなたのそのバレーに対する情熱は買うわ。あなたね・・・日本のバレー界を救うために海外の長身の選手と結婚しなさい。キューバとかソ連(今のロシア)とか良いんじゃない?・・・・あっ・・・ちょっと待って・・・あなたのようなオチビさん・・・あらごめんなさい・・・小さな人が結婚しても劣性遺伝ということもあるから、やはりこの話は身長の高い男性に持って行くわ、ごめんなさい」

だったら、初めからそんな話はしないでもいいのに、一時は私もそれなりに真剣に悩んだものです。

いずれにしろ、私は今回のような国際結婚には大賛成です。国際結婚が多くなれば、国同士に親戚が多くなり、戦争は起こりにくくなるでしょうから・・・。

お二人とも、お幸せに・・・。


18,Dec,2014 挨拶をする私が変なのかも

こちらカンボジアに住んで7ヶ月目に入っている。 色々な違いに気づいてくる。

今夜も、英語の集中講座に出席した。講座は先週から始まってウィークデイ(weekday:月~金)の夜3時間、計45時間をかけて行われている。

そして、気付いたことがある。

教室に入ってくる平均年齢18歳の学生達は、彼等どうしでは、まったく挨拶を交わさない、ということである。私は、いつも教室に入って行くときに”Good evening!How are you?” と言いながら入って行く。私の方が先に教室に入っている時も、私の方から先に声をかける。

彼らは、一切声をかけずに、静かに入室してくる。私が声をかけて初めて返答がある。こういったことは、ナショナルチームのメンバーでも同じであった。

私は、選手達に言った。

挨拶もせずに、体育館に入ってくるのは、泥棒や空き巣に違いない。泥棒は、声も音も立てずに密やかに入室してくる。カンボジア語の泥棒は「チョロ」という言葉も覚えた。君たちはチョロでなければ、大きな声で挨拶しながら体育館に入って来て欲しい。

フィリピン人の友達にそのことをSkypで話したら、こう言われた。

Nabe-san、カンボジアの若い人たちは、あなたのことを変な人、と思っているかも知れません。フィリピンの人達も公の場以外では、挨拶を交わしません。

なるほど、挨拶する人の方が変な人と思われるのか。しかし、挨拶は人としての自然な礼儀であると私は思っている。

最近では、わたしのような変なおじさんに彼らが挨拶を返すようになってきた。しかし、まだ、彼らから先に挨拶の言葉は出てこない。

そうそう、昨日の練習に15分遅れてきたある選手が、私の側に来てカンボジア語で「すみません」と謝罪の言葉を発した。初めてのことである。

選手も、学生たちも、遅刻してきたときに何も言わずに、何事もなかったかのように合流していく。携帯に電話が入ると、教師に断りもせずに携帯をつかんで教室の外に出ていく。トイレに行くときも、突然席を立って何も言わずに教室を出てゆく。教師の方も、またか・・・という感じで、あまり注意もしない。

そんな学生達、選手達であるが、「こういう場合は、このように行動したほうが良いよ。理由は・・・だからね」と説明すると大概理解してくれる。

どうも、若者達よりも若者たちの手本となるべき大人たちのほうに問題があるようだ。


2014年12月18日木曜日

17,Dec.2014 教育は銃より強し

タリバンは、なぜ学校を襲ったのか?

私は、思う。

それは、教育を受けた子供たちは将来大きな力を得ることができるからだ。世界と自国との歴史、科学と化学知識はもとより、IT活用技術、語学力そして交渉力、思考力、判断力など。教育の力は銃の力より強い。


2014年12月17日水曜日

16,Dec.2014 人はかくも非情になれるのか?

深夜遅くニュースが飛び込んできた。

パキスタンで公立学校が武装ループから襲われ、銃を乱射された児童、生徒達130以上が死亡、120人以上が負傷するという大惨事が起きた。

イスラム武装勢力「パキスタンのタリバン運動(TTP)」が犯行を認めた。TTPはノーベル平和賞を受賞したマララ・ユスフザイさん(17)を約2年前に襲撃した勢力。TTPのスポークスマンは「政府がわれわれの家族や女性を攻撃しているため、軍の学校を標的に選んだ。彼らに痛みを味わわせてやりたかった」と述べた。
 
襲撃された学校はパキスタン軍が運営しており、軍関係者の子弟も多い。
 
パキスタン首相は報告を聞いて言った。「子供たちが・・・私の子供たちが犠牲になった。国の大いなる損失だ」。
 
戦争は、憎しみの連鎖が引き起こす。そして、最後には地上には誰もいなくなるまで戦おうということなのか。
 
色々な将来の夢を描いていた子供たちが一瞬にして消えてしまった。親御さんたちの無念、亡くなった子供たち自身の無念さを思うと・・・心が痛い、重い。

これは、戦争ではない。戦争には、まだお互いの大義がある。国際法もある。良い戦争というものは存在しない。戦争は悪い。

今回のことは、単なる殺戮だ。兵士同士が戦う戦争も悲劇であるが、兵士でない一般市民、それも無防備で弱い存在の子供たちを狙うなど、もはや人間の行為とは思えない。
 
 
 
 

2014年12月15日月曜日

15,Dec.2014 衆議院選挙が終わった

結果は、与党(自民党+公明党)の圧勝であった。

今回の選挙は、安倍政権への信任を問う選挙であった感が強い。民意は、もう4年間安倍さんにやらせてみよう、ということであった。このことは、反面、野党への不信任でもある。

国がしっかりと歩んでいくためには強い与党だけでなく、強い野党も必要だ。国民の前でお互いにガップリ四つになって、議論を尽くし、国民の理解と納得の上で政治を行って頂きたい。

最後に、気になったのは、投票率である。昨日は、降雪など天候の影響もあったと聞いたが、戦後最低の投票率52%であった。それ以前の最低は、前回2009年の56%であった。

今朝、フィリピン人とSkypで、今回の投票率のことを話したら、彼女は驚いていた。フィリピンでは、選挙の投票率は高く、ほとんどいつも90%を超えるという。日本人は、政治にあまり関心がないのか、期待していないのか・・・、自分の国の将来について、日本人はもっと真剣になる必要があると感じた。

2014年12月14日日曜日

13,Des.2014 わが故郷で女子バレーボールチームが発足?

昨日、日本にいる友人からニュースが入った。

その友人が住んでいるのが山形県酒田市。私の故郷でもある。カンボジアに来る前に、亡き父の墓参もあり酒田には4月にも帰郷した。その時、市役所に表敬訪問に伺った。市長があいにく所要でお留守であったので、副市長と会談させて頂いた。

その副市長も今日13日付けの山形新聞に写真入りで出ている。私の出身の高校のバレー部の先輩も市体育協会会長職に就いているので同じく写真に出ている。

新チームが、私の故郷を拠点にして発足することは大歓迎である。今年、山形県天童市を拠点にしたパイオニア・チームが社の経営不振を理由にバレー部を解散した。それとの関連性があるのかどうか、まだ情報量が少ないので良くわからない。

いずれにしろ、チームは運営するだけでなく、経営しなければならない。そして、体育館の中だけのバレーボール指導や運営よりも、スポーツ経営できる人物が関係者の中にいることが大事だ。人、モノ、金、情報、価値という経営のポイントをよく理解できている実務者が必要だ。バレーボールを知らなくともスポーツ経営を知っている専門家がいてくれることを期待している。

チーム経営は、簡単にはいかない。他の団体を見てもわかると通り、サッカーでさえ、赤字のチームが出てきている。軌道に乗るまでは、少なくとも3年はかかるであろう。その3年で足場を固めて欲しいものである。

下に山形新聞社の記事を転載する。

2014年12月13日 12:16
合同記者会見で手を取り合う出席者。左から2人目がプレステージ・インターナショナルの玉上進一社長=酒田市
合同記者会見で手を取り合う出席者。左から2人目がプレステージ・インターナショナルの玉上進一社長=酒田市
 
 
酒田市を拠点に女子バレーボールチームを設立し、来年4月の活動開始を目指すプレステージ・インターナショナル(東京、玉上進一社長)は12日、同市内で県などの関係団体と合同で記者会見を開いた。会社側がチーム発足の経緯やコンセプトを説明し、関係団体は活動を後押しする意向を示した。

 今月中にVリーグ機構に準加盟申請し、国内トップのプレミアリーグの下部に当たるチャレンジリーグに来年からの参戦を目指す。選手は従業員として雇用され、通常業務をしながら競技に打ち込む。来年4月に練習を開始し、場所は同市内の体育館を借用する予定。

 会見は、同社が酒田京田西工業団地内に開設しているコールセンター「山形BPOガーデン」(以下BPO)で行われ、玉上社長、丸山至酒田市副市長、海野耕二県スポーツ保健課競技スポーツ推進室長、山岸文章県バレーボール協会副会長が出席した。

 玉上社長は「BPOの社員約300人のうち8割が女性。仕事と同時に何か一生懸命できることがないかと考えた」と発足の理由を説明。「地域と共に成長し、応援されるチームにすることが責任。その中で強くしていければ」と力を込めた。

 他の出席者は「地域を挙げて協力する」「いずれトップリーグで活躍してほしい」などと期待を寄せた。同社によると、現時点で県出身者を含め8、9人程度が選手として入社を希望しているという。

2014年12月13日土曜日

12,Dec.2014  天は見ている

現役の全日本男子選手が、窃盗で逮捕された。

現在開催中の天皇杯に出場している彼の所属チームは、急遽、きょうの試合の欠場を決めた。欠場したチームは昨年の同大会の優勝チームである。

容疑者は、パチンコ店で置き忘れられていた財布の中からお金を抜き取り、財布を店に届けた。落とし主はお金がほとんど抜き取られていることに気づき、警官が容疑者に事情聴取して犯行の事実が判明した。また、店内のビデオカメラが一部始終を撮っていた。

なんということだ・・・。人の道を踏み外してしまった。

落し物があれば、落とした人がどれ程困っているか想像できる。私も、今年の2月に電車の中にスポーツバッグを置き忘れた。そして、有難いことに忘れ物預り所に届けられてあった。有難かった・・・。逆もあった。駅構内に財布が落ちていた。一応、中を確認した。身分証明証も入っていた。落とした人は相当困っているだろうな、と想像できた。勿論、財布はそのまま駅員さんに届けた。

例え、誰も見ていなくとも、ビデオカメラのないところであっても、落し物の持ち主の立場に立って想像すれば、我々は、当然、交番やその建物の係りの者に届ける。

誰も見ていなくとも、天は見ている。容疑者は学生ではない。社会人である。ましてや、子供たちが憧れる日の丸を付けている全日本の選手である。

もう一度、選手育成のやり直しが必要である。強いだけ、上手なだけがトップアスリートの条件ではない。自律心(自分自身をコントロールできる、律する心)が必要である。



11,Dec.2014 2014年ノーベル平和賞受賞のMalalaさんのスピーチ

Malalaさん(17歳)の受賞記念スピーチをユーチューブの動画で見た。

彼女のスピーチ原稿には、勿論、彼女を支援する団体から派遣されているライター(writer)が手直しをしている。前回のアメリカ大統領選挙におけるオバマさんのスピーチ原稿も有権者の心を揺り動かしたが、そこにも専属のライターの筆力が影響している。

しかし、オリジナルの原稿は、Malalaさん自身の手で作成されている。大事なのは、彼女自身の口から発せられることだ。彼女自身の口から発せられた言葉は、彼女の所有物になる。

彼女のスピーチで印象に残った個所は沢山あったが、気にかかったのは次の箇所だ。

I had two options, one was to remain silent and wait to be killed. And the second was to speak up and then be killed. I chose the second one. I decided to speak up.

「これからの私には、2つの選択肢がある。1つは、静かにしていて殺されるのを待つこと。もう1つ  
 は、主張し続けて殺されること。私は後者を選ぶ。私はこれからも主張することを決めた」。

私の拙い訳であるが、意味は間違ってはいないと思う。

ここに、彼女の決意を読み取ることができる。恐らく・・・あってはならないことであるが、彼女は反対勢力から葬られる可能性が、今回の受賞を機に増幅すると危惧する。

アメリカにおける黒人の権利を主張し、圧倒的な支持を得て、その後、志半ばに暗殺されたキング牧師を思い出す。

「出る釘は打たれる」。しかし、彼女のように「出過ぎた釘は打ちようがない」であろう。反対勢力も考えるであろう。ここで、事を起こせば、彼女を更に英雄視させてしまうことを。それこそ、Malalaの夢を加速させることになる。

従って、反対勢力も手を出せない。Malalaの夢である、世界の全ての子供たち、特に少女たちが学校に通って教育を受けられるような世界に近づいていくであろう。  


2014年12月11日木曜日

10,Dec.2014 I'm going to return to Japan for a short time in January

1月上旬から中旬にかけて、日本に一時帰国する予定を立てている。

9日、10日に開催される春高バレーボール準決勝、決勝戦には顔を出したい。また、10日の夕方からは、青年海外協力隊バレーボール隊員OG・OB会の発足総会もある。

8月の一時帰国の時は、千葉県バレーボール協会指導普及委員長として講習会運営と講師の活動もあり、あっという間に一週間の日本滞在が過ぎてしまった。今回は、正月休暇と年次休暇も少し入れたので余裕もある。夏には会えなかった関係者、友人そして家族ともゆっくりと話ができる。

今週の8日(月)から今月末の30日までの土日を除いた毎日夕方に英語専門学校(オーストラリアが本校)で英語の集中講座を受けている。午後の練習後に移動中の車の中で着替えて、3時間の講座を受け、帰りに夕食をレストランで取って、自宅のアパートメントに着く頃には10時を過ぎている。

こちらの物価は安いので、受講料は2万円で済む。もっとも、2万円という金額は、この国の一般庶民にとってはひと月分の食費に相当する。受講者は、私以外は皆大学生である。ここに来ている大学生の親は裕福なのだと思う。身に付けている服装を見ればわかる。

16名の半数は女子学生である。日本でもそうだが、カンボジアの学生も女子学生の方が熱心で優秀だ。今夜は、海外旅行のプレゼンを4グループに分かれて競い合った。あるグループは、東京を選んでプレゼンした。パソコンとプロジェクターを使って新宿、原宿、六本木などの地名が出てきた。少し、懐かしかった。

彼らが、さらに海外の大学院に留学して更に見識を高めて戻ってきて、彼らの子供たちが成人する頃には、この国はもっと良くなっているであろう。この国の未来を背負っている頼もしい大学生たちと一緒に学習できることは、私にとって喜びである。

行き帰りの車の中では、今度は現地のクメール語で運転手と会話をする。日本語は、ここのブログを書くときやEメールを書くときに使っている。従って、私の脳も結構忙しく働いて活性化されている。

ここのところ、体調も良好に戻り、すこぶる元気だ。やはり胃腸薬は日本の胃腸薬、正露丸などが日本人の私には即効性がある。1月には、大量に仕入れてこよう。

2014年12月9日火曜日

09,Dec.2014 カンボジア・バレーボール連盟幹部と

「私は、忙しいのです」のが口癖の連盟幹部と昨日、実に3週間ぶりに話し合いの場を設けた。

私のアパートメントに来てもらう約束をしても、その彼は、ドタキャンが多いので、きょうは私の方から彼の待っている場所に出向いた。

そして、カンボジア人訛のきつい英語と日本人訛のある私の英語で話し合いの場を持った。そして、今日話し合ったことで、大事なこと(結論、検討事項)、つまり議事録を彼が英文にしてまとめて、確認の意味で私にEメールを送ってもらうようにした。

二人で話していると、色々なことが明らかになってくる。

一般的に、カンボジアの人達は、私が質問すると答えてくれる。逆に、こちらから質問しなければ答えてくれない、ということでもある。

日本人同士であれば、何かあった時に「そういうことは、事前に教えてよ・・・」となるが、彼らに言わせれば「質問されないから言わないまで」となる。日本人が甘えているのか、カンボジア人が気が利かないのか・・・まあ・・・どっちもどっちなんでしょうね。

「言わなくても、それぐらいわかるでしょう!?」は、日本以外の国では通じない。日本国内での「当然」「常識」「普通」は、外国では通用しない。英語も、日本語を直訳して話しても通じない。

グローバルな常識とこの国の常識を理解した上で、日本社会の常識の良いところを少しずつ紹介していきたい。
 

2014年12月8日月曜日

08,Dec.2014 全日本大学バレーボール選手権 決勝 結果

インカレが終了しました。

男子は中央大学が、女子は日本体育大学が、それぞれ歴史的な勝利を収めました。

まず、男子。

中央大学 - 日本体育大学 3 - 0 (25-21, 25-17, 29-27)
※中央大学は18年ぶり13度目の優勝

個人賞で、中央大学1年生の石川君がサーブを中心に大活躍しました。イタリアのクラブチームから一時帰国していたんですね。イタリアへのバレー留学が彼にもチームにも良い結果をもたらしています。

個人的には、中央大学4年生でセッターの関田君がセッター賞を獲得したのが嬉しいですね。彼は、東洋高等学校出身で慶応大学に進学したやはり東洋高出身の柳田君と同窓生なんです。実は、関田君のご両親と私とは、飲み友達なんです。こちらカンボジアに来る直前には、ソフトバレーボールをやりたいので相談に乗って欲しいということで上野のお店で一献傾けました。

さて、次は、女子。(英語では女性は。GirlとWomenとにカテゴリーが分けられているが、日本は男子、女子の区別だけ。子供っぽいのが気になるのだが、これって、どうなんだろう?) 

Anyway, 女子は、日本体育大学が21年ぶり、29度目の優勝でした。21年前の優勝監督は、全日本監督にも就任した名将宗内先生でした。今度の優勝監督は根本先生です。おっと、彼も東洋高校出身でした。1月の春高バレーに残念なことに、東洋高校は東京都第4位で出場できませんが、先輩たちは頑張りました。

日体大は、これで東日本インカレ、秋季リーグ戦に続いて3冠獲得です。

日本体育大学 - 福岡大学 3 - 2 (25-16, 24-26, 25-17, 21-25, 15-9)

2014年12月7日日曜日

07,Dec.2017 Typhoon is moving very slowly across Philippines

雨風を伴った巨大な台風がフィリピンに上陸した。


上陸したら、速度を弱めて、ゆっくりとフィリピン全土を縦断するような進路で進んでいる。カンボジアで、もっぱら見るTV番組は、アメリカのケーブルTVであるCNN。キャスターの発音が良いので、
英語の学習にもなり、アパートメントにいるときは、ほとんどCNNにチャンネルを合わせている。

今朝6:30、フィリピンの首都マニラ近郊に住んでいるSkypeを通じてのEnglishe teacherの自宅に連絡を入れた。台風は、まだ先生の住んでいるマニラ近郊に到着していないらしい。先生の故郷(home town)であるタクロバン市は、国の南東にあり、台風の直撃を受けている。電話は通じないという。

台風の速度が緩いと雨量が多くなる。日本も台風、地震、洪水、津波と自然災害の多い国だ。フィリピン海域は、台風の多発地域になっている。聞けば、自国の消防隊や軍隊だけでなく近隣諸国からも救援隊が駆けつけ、もしもの事態に備えているという。

台風の発生原因は、科学者の努力で最近、少しずつ明らかになりつつある。原因の一つは、フィリピン海底の地形もあるようであるが、地球温暖化も少なからず影響しているという。

事前の予防と事後の対策をとることは大事であるが、同時に台風の発生を食い止める抜本的な対策も国際的な連携で行わなければならないのではないか。最近の台風は、極端に発生が少ない年と、発生したら巨大な台風になるか、どちらかだ。自然のメカニズムやリズムが少しずつく狂いだしたのであろうか。

地球といかに共存していくか。自然をコントロールしょうとするのではなく、自然と上手く共存していく科学の研究の進展が望まれているのではないか。

いずれにしろ、今は、フィリピンでの台風の被害が大事に至らないことを祈るばかりだ。

2014年12月6日土曜日

06,Dec.2014 Typhoon is coming to Philippines

大型の台風がフィリピンに上陸しようとしている。

私はSkype(スカイプ:動画付の電話のようなもので無料)で英語の学習を先月から始めている。毎日、こちらの時間の6:30から30分間、テキストを使ったり、その時の話題を話したり会話を楽しんでいる。

先生はフィリピン人で元英語教師の40歳代の主婦。その彼女が住んでいるルソン島はじめフィリピン全域に大型の台風が接近しつつある。昨年の同じこの月の8日にも、大型の台風が襲来し行方不明を含む死者7,300名という甚大な犠牲者を出した。

フィリピンは国名にsという複数形を意味するアルファベットが付いているように、大小約7,000の島々で国が成り立っている。約5,000が無人島で、有人の島は約2,000島。

島なので、今回もそうであるが高潮と一緒になって暴風になると、木材で作られているほとんどの家々は水浸しになったり、木っ端みじんに吹き飛ばされてしまう。

英語の先生の家はコンクリート造りなので、吹き飛ばされる心配はないが、市内の食料店では既に食料が買い尽くされて無くなったという。昨年は、停電、断水も重なり、3週間、不自由な暮らしを余儀なくされたとのことだ。

台風は、依然猛烈な勢力を保ちながら、今夜襲ってくる。

大きな被害が出ないように祈るばかりである。

2014年12月5日金曜日

04,Dec.2014 Kyaraokeに行った

カンボジアに来て、3回目のカラオケ屋さんに入った。

最初は、6月の頃、こちらに住んでいる日本人の方達に連れられて行った。2回目は、先月タイのバンコクでFIVB主催のセミナー受講でタイ国バレーボール協会から招待された。

そして、昨夜、今年の6月にカンボジアで初めて開店した日本のイオン・ショッピングモール内にあるカラオケ屋さんに地元の知人と入った。機械は、全て日本製なので扱いやすい。7曲ほど歌ったか・・・日本の演歌、英語のスタンダードなど。

たまには、英語の歌を大声で、カラオケ屋さんで歌うのも英語の学習になる。聞いてくれる人がいなくとも、自分の口から英語を何度も発する(out-put)ことが大事であることは、脳科学でも実証されている。

しかし、私の好きな歌い方は、狭い個室のカラオケ屋さんではなく、実は聴衆が沢山いる前で歌うことである。バレーボールの試合でも観客が大勢いたほうが、私の場合は集中力が高まり、動きが良くなる。ある意味、プレッシャーが好きなのかもしれない。資格試験を受けるのも好きだ。あの張りつめた緊張感が心地良い。


2014年12月2日火曜日

01,Des.2014 アジアバレーボール連盟本部が中国からタイランドに移設

FIVB国際バレーボール連盟のホームページによると、アジアバレーボール連盟の本部が中国の北京市からタイランドのバンコク市に移され、開所式を明日行うと報じられた。

バンコク・サバナミ国際空港 に到着したFIVB会長である Graça氏 /ブラジル会長も兼任/ がタイランドバレーボール協会幹部役員に出迎えられた。向かって右から3番目がAVCアジアバレーボール連盟会長の Saleh A. Bin Nasser氏。さらに右から2番目がタイランドバレーボール協会会長の Somporn Chaibangyang氏。 そして、右端がタイランドバレーボール協会名誉会長、FIVB理事である Shanrit Wongprasert氏。左から2番目がタイランドバレーボール協会事務局長のジャック・スワン氏。おっと、彼の制服から見ると彼は内務省に勤務しているようですね)

明日は、その開所式が行われる。このことは、今年4月の韓国インチョンで開催されたアジアバレーボール連盟評議委員会にて決定されたことであった。アジアバレーボール連盟の理事達も開所式出席のために続々と集まって来ている。

空港でのメディアに対してのインタビューで、FIVB会長のグラサ氏は、以下のように答えた。

「アジアバレーボール連盟本部を移設したのはアジアバレーボール連盟がより活動を活性化できると判断し決定したことで、FIVBはそのことを支援する。

まずバンコクは、地理的にアジアの中心に位置していることで、アジア連盟の役員が集まるには便宜が良い場所である。次に、タイのバレーファンは情熱的で国内のスポーツ発展を牽引している。タイのバレーボールは、今や人気スポーツとなっている。タイ女子ナショナルチームは国際大会でめざましい活躍をしている。
 タイランドは、間違いなくアジアにおいて、バレーボールの中心地となるに違いないでしょう
I believe Thailand is well positioned to become a volleyball hub in Asia.

  更に続けて、

「この本部は、アジア連盟加盟国65ヵ国のインドア(6人制)だけでなくビーチバレー(2人制)の発展に関しても大きな働きをすると期待しています。特に、アジアのビーチバレーは、目覚ましい競技力向上を果たしている。バヌアツのような小さな島国のビーチバレーチームは国際的にも活躍している。今後も、このような小国やバレーボール発展途上の国々への最大限の支援を活動を希望する」

私も、タイランドにアジアバレーボール連盟本部が移設されたことを喜びたい。タイランドは、それに値するだけの活動を続けてきた。今回の移設は、私にもチャンスである。私の住んでいるカンボジアのプノンペン市からタイランドのバンコク市まで、なんと飛行機で1時間で行ける。


料金も、正規では片道1万2千円であるが、インターネットで安価なものを探せば半額のチケットも購入できるという。バンコクでは、年間多くの国際試合も開催される。日本の各年代のナショナルチームも頻繁に訪れている。アジアはじめ、世界のバレーボール情報収集には非常に有利な地理的条件のあるところに私は住んでいる、ということが言える。

2週間前にバンコクで開催されたFIVB主催のテクニカル・セミナー「セッターの指導」においても、セミナー自体の学習だけでなく、タイランド幹部役員や同じアセアン地域のベトナムはじめ海外からの受講者から多大な情報を頂き収穫があった。

近いうちに、現在タイランド国内で開催中のリーグ戦を観戦に行きたいと考えている。その時には、事務局長やアシスタントコーチも一緒に連れて行きたい。リーグ戦の経営、運営、ナショナルチームとの連携など、カンボジアのバレーボール発展に参考になることが沢山ある。

同じ東南アジアの人間にできて、カンボジア人にできないということはない。

私の幾千回の言葉より、現場を見せるのが一番である。

人間には驚きが必要だ。驚くことで心が、魂が揺すぶられ人間力が目覚める。






2014年12月1日月曜日

30,Nov.2014 このブログの閲覧者はどこの国の人達?

きょうのPhnom Penh(プノンペン)市は、乾期に入ったというのに、空がどんよりと曇っている。こういうときは、決まってスコール(突然の雨だが30分程度で降り止む)だ。

このブログの閲覧者の国別統計を見た。驚いたことに、従来2番に多かったUSAが後退して、代わりに浮上してきたのがフランスである。

以前、フランスバレーボール協会の関係者から、このブログを通じて、私がまとめた『確実に上達するソフトバレーボール』を購入したいというメールがあった。フランスでも少人数で誰でもプレーできるバレーボールに関心を抱いていることをこのメールで初めて知った。

6人制バレーボールのレベルも高く、男子は全日本男子よりも世界ランキングは高い。

このブログを読んでいただいている方々が、フランス人の方々なのか、在仏の日本人なのか、私にはわからないが、フランス語も学習している私にとっては嬉しいことである。日常、フランス語を使う機会はほとんどないが、私にとってはまだ、フランス語でバレーボールの指導をするほうが英語よりも易しい。英語の場合は、まだ日本語で考えてから英語に転換しているレベルであるが、フランス語の場合は、はじめからフランス語で考えているから、自分でも驚きだ。生活に根付いた言葉は体に沁みついている。

下の国別の統計は、直近1週間での合計である。

国別のページビュー
ブログの閲覧者が多い国のグラフ
項目ページビュー
日本

876
フランス

80
アメリカ合衆国

36
ロシア

5
ドイツ

1
デンマーク

1
グアム

1
カンボジア

1
台湾

1

2014年11月30日日曜日

29,Nov.2014 慌てず、腐らず、焦らず・・・

解らない、できない、といことはなんら恥ではない。

解らないままにしておくことが良くない。できないままにしておくことが良くない。一番良い対策は、解っている人に聞くことである。できている人に教えてもらうことである。それが無理ならば、次善策を練って、とにかく前に進むことである。

失敗も成果である。

勿論、組織によっては一度の失敗で「あいつはダメだ」と烙印を押される場合もある。特に利益追求型の会社組織は、小さな組織ほど即戦力を求める。成果なんて悠長なことよりも結果を優先する。人を育成するだけの時間と金がない。

スポーツの場合も、特にプロの場合は結果が優先される。育成も同時に進めているような余裕のあるチームは少ない。

私が、ここカンボジアで求められているのは、結果と育成の両方である。

しかし、こちらに住んで、半年近くになって、更に求められているもう一つの事に気が付いた。その事に関して、カンボジアバレーボール連盟自身は気付いていない。

28,Nov.2014 カンボジアでカンニング禁止令が出た

When you cheat on the examination, you will receive 0 points of evaluations

最近、週3回、夜に英語専門学校に通っている。今夜は、今学期のまとめとしてのテストがあった。これに合格すれば、次のレベルのクラスに進級できる。

英国人の教師が、前方の白板に、何か書き始めた。”cheat”の意味が解らなかったので、教師に質問した。意味は「カンニング」ということであった。全体の意味は「カンニングした場合、試験の成績は0点です」。

驚いたことに、カンボジアでは昨年まで、高校卒業資格試験でカンニングが堂々とまかり通っていた。さすがに青年・教育・スポーツ省もこれではいかんと思い、今年からの試験ではカンニングペーパーの持ち込みを厳重に検査した。結果、合格者は20%と激減した。慌てた教育庁は追試で不合格者を救おうとした。不合格になった場合、もう1年間、学校に通わなければならない。それは親にとって大変な負担である。不合格になったら退学する生徒も多いと聞いた。

そして、追試の結果、合格者は合計50%近くになった。それでもこの数字では、多くの不合格者を出すことになった、ということだ。大学や専門学校への進学率も下降することであろう。

子供たちの方だけに、責任があるとは思えない。いままで、カンニングを容認してきた教育界に最も責任があると思う。

カンニングは、答えを写すだけの卑しい行為である。それでは「考える力」は育たない。教育とは、答えを導く過程にこそ価値がある。数多く間違うことで、答に辿り着ける。

なお、カンニングは和製英語である。カンニングの意味は「ずるい」「ずる賢い」というもともとの意味であるが、明治時代に、試験での不正な行為を「カンニング」と名付けたということである。

2014年11月27日木曜日

27,Nov.2014 選手第一に考えたら、ここまで悪化しなかったはず

昨日、深夜に悪いニュースが飛び込んできた。国際バスケットボール連盟が日本バスケット界に重い処分を下した。落胆したと同時に、ナショナルチームの選手や草の根でバスケを楽しんでいる人たちの無念さを共有した。

国際バスケットボール連盟からの具体的な処分としては、来年度、アジアで開催されるリオ・オリンピック予選会への出場停止を言い渡されたのである。つまり、2016年リオ・オリンピック出場の機会を失うことになるわけである。試合で敗北したわけでもない。ナショナルチームの不祥事があったわけではない。支えるべきはずの連盟組織のふがいなさから生じた結果である。

これを契機に、速やかに所轄の文科省、JOCも動くであろう。連盟が自助努力できなければ、それもやむを得ないであろう。 

事ここに至っては、選手達も動かざるを得ないであろう。日本バスケットボール界最大の危機と言いってよい。この危機を乗り越えて改革を推し進めて行ってほしい。日本バスケットボール界は日本バレーボール界以上の登録人数 (2012年度登録数で言うと、バスケットボールは615,458名、我がバレーボールは395,730名、ちなみにサッカーは927,671名) を抱えている。数はパワーだ。私は、日本バスケット界の良識を信じている。 


国際バスケットボール連盟からの処分決定に関しては、今朝の朝日新聞から引用して紹介する。

『日本バスケットボール協会が、国際バスケットボール連盟(FIBA)から無期限の資格停止処分を科された。内輪もめに終始し、FIBAとの意思疎通を怠ったツケが回ってきたと言える。
 11月中旬、NBLとbjリーグの統一について話し合ってきた組織委員会のメンバーの一人がつぶやいた。「FIBAが具体的にどういうかたちの統一を求めているのか協会に聞いても、分からない。現地へ行って確認するなどやれることはあるはずなのに」。組織委がスタートしたのは今年7月。3カ月以上、FIBAの真意を測りかねたままの議論が繰り返され、改革案の提出期限とされた10月末に間に合わなかった。
 「FIBAとのパイプを持った人間は、いまの協会に誰もいない」と元理事は話す。きっかけは06年に日本で開かれた世界選手権で出た約13億円の赤字だ。執行部の責任を巡って内部対立が起き、権力争いも加わって役員人事が進まなくなった。日本オリンピック委員会から無期限の資格停止処分を受ける事態に。08年、理事の半数以上が入れ替わることでようやく処分が解除されたものの、事務方のスタッフも大半が入れ替わり、FIBAと密接に連絡を取れる人物がいなくなってしまった。』

2014年11月26日水曜日

26,Nov.2014 ヤシの実ジュース

南国ならではの、自然健康飲料がある。

カンボジアだけでなく、東南アジア諸国では、ほとんどの家の庭に見られる植物はバナナと椰子の木。一度植えたら、そのまま放っておいても育ってしまう、手要らずの植物である。

昨夜のスペシャルメニューが効いたのか、今朝はすこぶる体調が良い。

I feel much beer. おっと、これは間違い(笑)。Beer(ビール)ではなく、better(より良い)であった。

I feel much better than yesterday. (昨日より体調が良いです)

行きつけのCafeでフルーツジュースを飲んだ後、アパートメントに入る前に道端に移動式椰子の実ジュースを販売しているおじさんがいたので1つ購入した。椰子とはココナッツである。このおじさんの販売の仕方は工夫されていて、分厚い椰子の表皮をナタで剥いた白い実を簡易冷蔵庫(おおきな氷を普通の木箱の中に入れたもの)に数個入れて冷やしてある。冷やしたほうがおいしいからだ。

実をそのまま持って行ってもよいが、ごみになるだけなので、中身だけ袋に入れてもらった。実の内側に付いているココナッツミルクも削いで袋の中に入れてもらった。おお・・・なんかカンボジア人みたいだ。

すぐ脇にいた現地の中学生らしき4人の子供たちも「この外国人は只者ではないぞ」というような目つきで私の買い物行動を見ていた。私が現地語しか話せないおじさんの請求するお金を間違いなく支払うと、子供たちは「おお・・・カンボジアの数字を理解しているぞ」というような感嘆の声を小さくあげて全員がにっこりと微笑んだ。日本円で40円ぐらい。

この椰子の実ジュースは、歌手のマドンナも愛飲しているという。彼女の場合は、若い椰子の実のジュースということである。新鮮なのは少し高い。

中年の域に入ったマドンナが眼を付けたのは、椰子の実ジュースの成分である。椰子の実は、カリウム、ナトリウム、カルシウム、リンなどのミネラルを豊富に含んでいる。味は、日本で販売されているポカリスエットに似ている。
(白くクラゲのように浮かんでいるのが、実の内側にあるココナッツミルク。おじさんがヘラでそぎ落としてくれたものだ。量はこのコップで3杯分ある)

シャワーの後に、冷蔵庫で更に冷やした椰子の実ジュースを飲むと体の芯から元気が出てくる。

25,Nov.2014 I have a little bit of headache.

症状は、あまり変わらない。のどの痛みは薄らいだが、今度は頭の右半分に鈍い痛みがある。

きょうは、一日中ベッドにいた。

夕方になって、料理療法に取り組んだ。

まずは、こちらでもNHKのTVが放映されているので、日本の歌謡コンサートを聞きながら食事をとった。勿論、自炊である。心をゆったりとさせるためには、私には日本の昭和演歌やポップスが一番である。

発汗をよくするために、私の好物のカレーライスを作った。材料は、玉ねぎ、鶏肉のハム、ルーは日本のSB社のカレールー(近くの小さなマーケットで売っていた)。ジャガイモと人参は冷蔵庫に
になかった。

食前酒は、こちらで購入した福島県二本松市酒造の日本酒。つまみは、カツオ風味のゴボウの漬物。日本酒は、同じアパートに住んでいる方がお酒の輸入をやられている方で、この方に注文したらゴボウの漬物をサービスで頂いたもの。

ビタミンCが必要なので冷蔵庫に入っているザボン、ネーブル、バナナを食べるようにした。

食後、少し体が軽くなってきたようだ。

明日は、完治していることを期待して、早めにベッドに入った。

24,Nov.2014 I have a sore throat.

カンボジアは、花粉症はないし、いいところだ。確かにスギ花粉はないが・・・。

私は、アレルギー症持ちだ。5年前の春の訪れの時に、あまりに花粉症の症状が激しいので船橋市内の耳鼻咽喉科に行って検査してもらったほどだ。花粉症というのは、ティッシュ一箱がすぐ無くなるほど鼻をかむだけではなく、目もショボショボして時には目が充血したり、更には、これが一番困るのであるが頭がどんよりと重くなる。

そして、カンボジアに来て・・・おお・・・花粉症がない・・・ではないか。と思いきや、やはりアレルギー症持ちの私である。今回、何らかの原因で喉が痛くなり、それから頭が少し重くなってきた。

重篤にしてはいけない。早速治療にかかった。といっても、まだ歯医者以外こちらで掛かりつけの医者は見つけていない。2ケ月に数日間だけプノンペンに見える整形外科医の岩崎ドクターは、まだ日本だ。

そこで、まず友人の青年海外協力隊の隊員に喉薬(ドロップ)を持ってきてもらった。そのドロップをペロペロ舐め、水を沢山飲み、寝るときにはマスクをした。

これでどうであろうか? 

 

2014年11月23日日曜日

23,Nov.2014 春高バレー福島県女子代表に磐城第一高校

春高バレー、福島県女子代表が決まった。

【女子決勝】
磐城第一 - 郡山女大付 3 - 1 (25-21, 25-15, 24-26, 25-21)
※磐城第一は初

磐城第一の監督の菊池先生は、以前男子バレー部監督で春高バレーに出場している。男女のバレーを指導して全国大会に出場させる指導者は珍しい。

菊池先生とは、6年前に茨城県立日立女子二高を会場にしての練習試合で知り合った。私はその当時、山梨県内の女子バレー部のアドバイザーとしてチームを指導していた。当時の先生のチームは福島県内でベスト4レベルであった。山梨県のチームは、全国常連のチームであった。練習試合では山梨県のチームに1セットも取れなかった。時には、山梨県のチームがブロックをしない布陣を敷いたが、それでも先生のチームは1セットも奪えなかった。相当ショックであったと思う。

しかし、そのことが、逆に先生を燃え立たせたのであろう。なんで勝てないんだ?その当時すでにベテランの指導者であった先生は、なりふり構わず私に問うてきた。

その後、先生と私の付き合いが始まった。いわき市バレーボール協会主催のバレー教室に講師で招待されたこともあった。先生の母校の東海大学出身者が指導者のチームが全国から集まってのの強化大会には私も特別コーチでチームと一緒に出場した。その時に初優勝した。それからチーム力は徐々に上がって行った。東北大会でも2番手まで実力をつけて行った。

そして、2011年のあの震災で、チームは沈んだ。部員の家屋が破壊されたり、部員の親戚を亡くしたり、練習どころではなかった。練習会場も避難者に提供したので練習する場もなくなった。県大会でベスト8にも入れなくなった。それでも、先生は「女子バレーでも全国大会に行くんだ」とあきらめなかった。

今年で60歳になる。春高バレーの会場で再会するのが今から楽しみだ。

21,Nov.2014 さあ...プノンペンに帰るぞ

本日の夕方にBangkok(バンコク)からPhnom Penh(プノンペン)に帰ってきた。
(今回のセミナーの修了証。来年度は、タイランド協会としては「レシーブ」のセミナーを開催する予定という。1年に1回はリフレッシュのためにもこのようなセミナーに出席してみたい。来年度は、更にFIVB公認コーチレベルⅢの受講も考えている。そしてFIVB公認インストラクターの道を歩んで行きたい)

1人で行動していると、色々なことを経験する。人に依頼してやって頂いていたら経験できないことは多い。

今回、Thailand(タイランド)に飛ぶ前に、Phnom PenhにあるThailand 大使館に行った。Visa(ビザ:入国許可証;査証)の申請のためである。日本人がThailandに30日間以内の滞在する場合には、Visaは不要だと認識していたが、日本からThailandに入国するのではなく、Cambodia(カンボジア)に6ヵ月間住んでいる日本人が入国するであるから、ひょっとしたら必要なのかなと思い大使館に行った。

結論は、あっさりと「あなたの場合は不要です」と言われた。結論は、私の場合には、まあそれでよいのであるが、この国の一般の人にとっては、Visaを取得するのには、まる1日かかる作業であることが大使館に行ってみてわかった。受付時間もきちんと守られていない。訪問する前に昼ごろに電話をして受付時間帯を確認しようとしても誰も電話口に出てくれない、留守電も出ない。
(タイ空港内の受付カウンターに行く前に昼食を採った。新宿でよく見かけたトンカツ屋さんがあったので、カツカレーを注文した。おお...日本の味だ)


自分で経験してみないと本当にわからないことが多い。今度はThailandの空港から飛行機に乗る直前に新たな経験をした。往復の飛行機はThailand Volleyball 協会のスポンサーである航空会社を利用した。Thailandへの行きでは荷物を預けなかった。帰りでは、荷物を預けた。小さなキャリーバックである。

いざ、搭乗という時間になって、搭乗カウンターのところまで来たら小荷物代(14kgで3千円ほど)を要求された。それも支払いはThaiの通貨であるバーツでの支払いという。出発まで5分。慌てて片道10分かけて両替所に行きUS㌦とThaiバーツを交換した。

搭乗カウンターまで来て支払いを済ませたら、そこでやっと小さな搭乗券を発行された。ここで全て合点した。最初の受付カウンターで搭乗券を確認しなかった私の不注意もあるが、荷物を預けるのに、それも重量オーバーではない、キャリーバッグ1個でも預かり料を取られることは初めての経験である。

これも経験である。搭乗した飛行機には、機内サービスもなく、狭い席で脚も組めない。次回からは別の航空会社にしようとその時、心に決めた。そして、航空券を購入する前に手荷物を無料で預けることができるのか、機内サービスはあるのか、しっかりと確認しよう。

私のチームのほとんどの選手達は、まだ飛行機に乗ったことはないと思う。平均身長186cmの男たちが、長い脚を折りたたんで機内の狭くて小さな椅子に座っている拷問のような光景を空想したら思わず微笑んでしまった。

「2,3時間以内で東南アジアのどこの国にも行けるのだから、少しの間、辛抱せい」というしかない
なあ。日本に連れて行く日は、日本の飛行機会社のゆったりとした席のある飛行機に乗せてやりたいなあ。
(私の宿泊していたホテルは、廻りにスポーツ施設が多く、この時期は、スポーツ合宿のような感じで多くのスポーツ・チームが宿泊している。私と入れ替わりに丁度2階建ての大型バスが到着した)

チームの海外遠征はいつになるのであろう。決まったとしても移動手段は普段乗っている小さなぎゅうぎゅう詰めのマイクロバスだろうなあ・・・。タイのホテルでみかけたThailand国内のどこかの普通のサッカークラブチームが乗っていたような大型バスで移動できるような環境を、まずは作りたい・・・。  

2014年11月21日金曜日

20,Nov.2014 FIVB Technical Seminar "SETTING" 修了

本日で、5日間のFIVB国際バレーボール連盟主催の技術講座「セッター育成」が修了した。

このセミナーには、修了試験がない。その代り、毎日の出席状況、遅刻、受講態度に関して主催者側から厳しくチェックされている。セミナー開始当初、タイ人の受講者の中には、遅刻して来る者、用事でどこかに外出してから来る者、休む者、講義中に携帯をいじっている者、寝ている者もいた。

遅れて来ても、交通事情とか、急な病気とかある。その理由を言えば良いのであるが、言わないのが習慣なのか、当たり前のようだ。遅刻してきても、謝らない、理由を言わない、用事があっても事前に伝えない、というところがある。その点は、カンボジア人も同じである。

講師のDr.ジャロッタは、大学の教員でもある。この点に関しては、彼は、初日にピシャッと注意した。さすがである。いや・・・教師であれば、当たり前か。彼は、ソフトに、しかし厳しく注意する。2日目からは、遅刻する者、携帯をいじっている者はいなくなった。

理由を述べて注意すれば、彼らは理解できる。時間を守ること、事前・途中・事後の連絡というコミュニケーションの必要性、整理(ボールはボール籠に入れておく)・整頓・清潔の保持、安全性への配慮など、なぜこのようなことを守る必要性があるのかを説明すれば、彼ら東南アジアの人達は理解してくれる。

カンボジアナショナルチームの最初の合宿でも、注意したのは時間の厳守。9:00練習スタートということは、9:00には練習をすぐ始められる体制にしていることであり、9:00に練習会場に着く時間ではないよ、ということを指導した。

おっと、話がそれてしまった。
(今回のモデルは、タイランドで合宿中のベトナムからやって来た男女クラブチームにお手伝いして頂いた。
男女チームと受講者が一緒に記念撮影)

午後にグループ発表があり、5:00からは報道関係者も集まり、Closing Ceremonyが始まった。

(タイランド・バレーボール協会の会長から受講者一人一人に修了証が手渡されて記念写真)

日本では、修了証授与する時に、一般的であるが、時間の節約もあり、代表者に授与して終える。
こちらでは、主催者が一人一人に授与し、その都度記念撮影する。時間はかかるが、なかなか良いシステムである。

修了式を終え、海外から来た受講者たちは、それぞれショッピングなどに出かけた。私もイスラム街散策など誘われたが、ここのところ寝不足が続いたので、ホテルで休むことにした。
(バンコク市内にはセブンイレブンはじめ日本のコンビニが多い)

夕食は、近くのセブンイレブンで買ってきた。物価は安く、全部で100バーツ(320円)で済んだ。その後、ホテルの近くにあるタイ式マッサージ店に行った。フットマッサージ(1時間600円)は、気持ちよくウトウトした。ついでに、肩と背中(これも1時間600円)もやってもらった。しかし、これが、間違いであった。マッサージのお姉さんの秘技には、思わず悲鳴をあげそうになった。

その秘技とは、肘で筋肉の間をグリグリするマッサージである。これは、拷問以外の何物でもない。しかし、日本男児は、このような場合でも、にっこり微笑み、じっと耐えねばならない。・・・明日はプノンペンに帰る。プノンペンの行きつけのマッサージ店に行って、「飲み直し」ならぬ「揉み直し」をしよう。

マッサージ店に行って、余計肩が凝ってしまったの巻であった。

2014年11月20日木曜日

19,Nov.2014 Seminar in Bangkok - Day 4

午前中の理論の時間は、若いタイ人コーチたちにはつまらなそうであったが、午後の実技の時間になると元気になっている。

(会場になっている大学の施設の1つであるスポーツ事務所。2階が研修施設、3階にバレーとバスケットの観客付のコートがある。つまり、ここがFIVBタイランドのバレーボール普及センターとなっている。昼食と夕食もここでケータリングで採っている)
(玄関にある、現在の催し物のお知らせ)



(上肢の指、手首、肘だけを使ってのセッターの特別練習)


(ライト方向にも上げる。この時、ボールを捉える位置に注意。右目、右肩、右腰の一直線上でボールを捉えることが大事。そのことで、体の面はレフト(#4)を向いているものの、相手のブロッカーが味方レフトの正面に移動したら、すかさず右肩上からライト方向にセットする。
 
夜には、タイランド協会が、ウエルカムパーティを開いてくれた。協会会長、専務理事も同席し、専務理事自らまずタイの歌を数曲披露。拍手すると、またもう1曲と、ご本人はサービスのつもりで結局オープニングから5曲歌い続けた。


私も、日本人として負けてはいられない。日本の歌を「骨まで愛して」「はなみずき」と歌っていった。いつも私と行動を一緒にしているオマーンとモルディブから来た受講者にはダンサーを無理やり務めさせた。
(パーティ会場の玄関前には像のレプリカが置かれていた。牙だけは本物であった。いわゆる象牙である。最近この牙の売買のために像が密猟者に乱獲されているようだ)
 

(私の右側がモルディブ人。数年前に日本の国際交流基金から派遣された大阪市立大学の南先生は素晴らしいコーチだったとしきりに称賛していた。左側がオマーン人。高校の教員だが王族の出身のようださらに左側が日本の大学教員の内田さん。10年前から毎年のように講習会に参加している。タイランド協会とはツーカーの関係である。タイ語も結構しゃべれる。このような人が日本のバレー界では貴重な存在である。世界は広い。知らないことの方が多い)
タイバレーボール協会は、学習時間とリラックスする時間を上手く組み合わせて、トータルとしてこれがセミナーということなのであろう。また、オープニングセレモニー、ウエルカムパーティに会長、専務理事が出席するということは、この国では会場が首都ということもあり、当たり前のことなのであろうが、海外から受講に来ている人たちには好印象を持たれる。日本でFIVB主催のコーチ養成講習会をここ4年間で2つほど開催したが、会長や専務理事(事務局長)が出席することはなかった。タイバレーボール協会に見習う点であろう。




2014年11月19日水曜日

18,Nov.2014 Seminar in Bangkok - Day 3

今の自分が最高ではない。更に高みに行ける。

受講者の平均年齢は、30歳前後である。海外から参加した受講者(モルディブ、オマーン、台湾、ベトナム)は、ナショナルチームの監督、自国のプロチームの監督などを経てきているので、年齢も40歳代が多い。私は、いつものように最高齢である。

日本でもそうだが、50歳あたりを過ぎると、セミナーやワークショップ(研修会)などに参加する人は少ない。実は、この年代から、ますます指導技術に磨きがかかってくるものと私は思っている。経験と知識は、今が最高ではない。これからが最高になっていく。今が、最高、完璧と思ったら、そこでその人の能力は停滞する。私は、そう思っている。
(セミナーの会場は、タイランドで以前アジア大会が開催された地域の中にある。
この地域はスポーツ・文化・学園都市という雰囲気を持っている。広大な敷地にタイランド最高学府の大学の施設も点在している。セミナー会場にある体育館は3階にある。他にもこのような会場が数か所ある。木の床の体育館があるなんて羨ましい。カンボジアには1つしかない。タイランドとカンボジアのスポーツ環境はあまりにも違いすぎる)

芸術家は自分の直近に完成した作品の評価を聞かれて次のように応えるであろう。

「今回の作品が最高傑作とは思わない。次に完成する作品が、私の最高傑作になるでしょう」

創作というのは、その繰り返しなんでしょうね。

スポーツにおいての指導も同じと私は思っている。今が最高ではない。自分はまだまだ成長できる。自分が成長すれば、プレーヤーも成長できる。
(午前中は理論、午後は実技。モデルは、ベトナムのプロクラブチーム。男子と女子のチームで、女子のチーム名はPost Bank。男女とも、ベトナムで1位、2位とのことだ。なんと1か月間バンコクに来て合宿しているとのことであった。食事も宿も安い、気候も温暖。最近は、日本からも高校チームが合宿に来ているとの話であった。確かに寒い日本よりは、こちらに来て、大学生チームと練習試合をしながら合宿するのも良いであろう)

歳だからもういいだろう・・・、ではなく、歳だから今までの経験と知識を生かして更に高みに行くことができる。もっと高いところに行って違う光景をみてみたい。
(講師のDr.ドウサン・ジャロッタ、
54歳。出身はチェコで選手として、ジュニアの監督として活躍し、現在はスイスに住んで大学の教員をしている。私にとって、セッター理論を外国人から聞くのはこれが2人目だ。皆、視点が違っていて面白い)

2014年11月17日月曜日

17,Nov.2014 日本から訃報が届いた

春高バレー東京都予選会が終了したその夜、東亜学園監督の小磯先生が亡くなった。

第3代表の切符を東洋高校と戦い手中にしたその夜のことである。心筋梗塞ということであった。

10数年前にも前監督の馬橋先生を亡くされている。馬橋先生と同年代の50歳前後と思う。

哀しい・・・。

故人のご冥福をお祈りします。

合掌

2014年11月16日日曜日

16,Nov.2014 バンコク 2日目

FIVB国際バレーボール連盟主催のセミナー「セッター育成」の初日が始まった。
(タイランドバレーボール協会の会長、専務理事、FIVBの理事とアジア連盟の理事でもあるシャンリット氏、そして講師。シャンリット氏からは、現在の東南アジア、そしてアジアの置かれている現状が切々と語られた。気のせいか、私の方を見てお話しているようでもあった。)

講師はチェコ人の大学の教授。ジュニアチームでウイングアタッカー(サイドスパイカー)で活躍して後、セッターに転向した、と本人が述べていた。
(受講者の記念写真。前列が海外からの受講者。台湾、モルディブ、オマーンから各1名、ベトナム3名そして日本というかカンボジアからというか私の計7名に開催地のタイランドから11名の総計18名の受講者)

セッターというポジションはリベロやミドルブロッカーと並んで特殊なポジションである。なおかつ、指導が難しい。セッターを経験していなければ、セッターの指導法を語ることは難しいであろう。
(講師のDr.ドウサン。初日の今日は、基本的なことを細かく説明してくれた。理論としては、豊田博先生の理論をコーディネーションの切り口で解説した形である。私は彼の解説を聞いていて、昔私がコーチしていた内容を思い出していた。大事なことは、上手くいかなくなったら、基本に戻ること、ということ。原因は基本をおろそかにしているということにコーチは気付かなければならない。原因は、もっと高度なことができないところにある、と考えることは、それは違うということである)
私がセッター育成法を学んだ最初は、ミドルブロッカー(センタープレイヤー)の人たちからであった。例えば、ミュンヘン金メダリストの西本哲雄さんに食事しながらベストセッターを聞いたことがある。

答えは、同じチームメイトの猫田さんであった。理由は、自分の打ちやすいトスを、それもノーブロックの状態で上げてくれるんだから、最高のセッターですよ、というものであった。西本さんは、更に語った。相手のブロッカーを翻弄するような、つまり英語で言うとfake(フェイク:だます)するようなセッターは、当時たくさんいた。猫田さんは、それもできたかもしれないが、それよりもスパイカーの好みを知って、常に打ちやすいボールを上げてくれた。理想のセッターは猫田さんです。そう彼は言い切った。

全日本女子で、やはりミドルプレイヤーをやった石田京子さん(知っている人は相当のバレー通でしょうね)にも、ある晩、バレーボール教室をいっしょにやった後に少しお酒を飲ませて語らせた。
理想のセッターは?彼女は答えた。

「理想のセッターは、先輩の松田さんとか江上さんよね。でもね、ちょっとナベさんどこ見ているの?ちゃんと聞いている?」
「はいはい、聞いていますよ~」
「だから、その『聞いていますよ~』って語尾の長いのは何よそれ? 真面目に聞いて!」
「はいはい」
「だから、返事は1回でいいの。ハイ!でいいの!」
「はい、わかりました!はいはい・・・」
「だから・・・いま言ったでしょう?」

まあ、以上のような問答が延々と続いた夜もありました。・・・それで理想のセッターは?

「理想のセッター? セッターが若い時は、私たちベテランのお姉さまミドルスパイカーたちがセッターに合わせてあげたの。若いセッターは私たちを使えないんだから、私たちのほうから彼女が使い易いようにタイミングを合わせてあげたのよ。苦労したわ・・・。でも。その後、彼女も20歳を過ぎてから良いセッターになっていたわね。だからね、ナベさん、聞いてる? セッターを育てたのは私たちMB(センタースパイカー)なのよ。ねえ・・・聞いている?眼が半分閉じかかっているよ~」

まったく、全日本女子の選手は酒にも強い。お酒に強い全日本女子選手の番付けをすると・・・おっと、この話題は、また別の時に・・・。

15,Nov.2014 Bangkok に着いた

夕方のプノンペンからの便でバンコクに以前からあるもう一つの国際空港であるDon Mueang(ドン・ムアン)に着いた。

空港の規模は、さほど大きくなく、通路も500m歩くだけですんなりとタイランドに入国できた。タイランド協会の役員が出迎えに来てくれていた。本人は国際審判員だと言って、日本の下山さん(アジア連盟審判規則委員会主事、JVA国内事業本部長)、FIVB公認インストラクターである足立さんとは知り合いである、と話しかけてきた。

出迎えてくれた車は、ホテルのではなくタイランドFIVB development Center in Thailand  (国際バレーボール連盟タイランド普及・発展センター)からのマイクロバスであった。

乗車員は私一人だけであった。

市内の街並みは、東京の渋谷駅から国道沿いを走っている感覚であった。立体高速道路が頭上にある。街路灯もこうこうと輝いている。プノンペンとは大違いだ。タイランドとカンボジアは国の発展度において大きな差がある。バレーボールで大きな開きがあるのもやむを得ない。

協会役員は、マイクロバスに乗ってから、ずっと私に語りかけている。お蔭でだいたいの番コックバレー界の事情が呑み込めた。本人は国内で一番大きい大学(施設なのか学生数なのか聞かなかったが・・・)の教員でスポーツ体育学を教える傍ら男女のバレーボール部も指導しているとのことであった。

カンボジアにも、大学バレーボール選手権大会というものがあるが、大会直前にチームを組む程度の大会で、レベルもさほど高くない。参加チームの中には、一般のクラブチームから有料の助っ人を借りて出てくるチームもあったり、まだ正式な大学選手権大会とは言えない。

タイランド国内では、今、最上リーグ(日本のプレミアリーグ)が始まったばかりで8チームが戦っている、ということであった。

土曜の夜の渋滞の中、40分かけてホテルに着いた。時間も8時になろうとしていたので、近くのオープン食堂のようなところでその役員と一緒にタイランド名物のトムヤンクンを頂いた。

2014年11月15日土曜日

14,Nov.2014 女性観戦禁止のイラン、国際試合禁止も バレー連盟が方針

先週、このブログで紹介したが、イランにおいてのバレーの試合で、女性の試合観戦が禁じられているどころか実刑判決を言い渡された記事を紹介した。

その後、11月10日付で共同通信を通じて、日本の新聞に以下のように報じられた。私は、FIVB国際バレーボール連盟の方針を支持する。このような状況では、イランはバレーボールの国際大会を開催する権利はない。

解決策はある。しばらくの間、観客席を区分して、レディース・シートを設けることである。女性のスポーツ観戦禁止は宗教上だけの理由ではなく、興奮した男性観客がお互いに暴力を振るう可能性があり、それが女性に危害を及ぼすかも知れないという理由もあると思う。

いずれにしろ、世界では、まだ女性がスポーツすることさえ良く思われていない一部の国がアジア・アラブ・アフリカ・中南米にある。女性は貴重な労働力ということもあり、スポーツをさせている場合ではない、という考えもまだ根強い。

労働の合間の気晴らしに、男にだけでなく女性にも子供たちにもスポーツは必要だ。今回のFIVBの制裁がイランのスポーツ環境を少し変えてくれることを願ってやまない。バレーの試合に国際的に強いだけでなく、観客に思いやりのある国こそが尊敬に値する。

『 国際バレーボール連盟(FIVB)は女性のゲーム観戦を禁じる限り、イランの国際試合主催を禁じる方針を示したことが9日、明らかになった。イタリアのスポーツ紙ガゼッタ・デロ・スポルト(電子版)などが報じた。イランでは6月、テヘランでゲームを観戦しようとした女性のゴンチェ・ガバミさんが拘束され、後に禁錮1年の実刑判決を言い渡された。
 FIVBは世界選手権などの主催大会では制限解除を求めている。同国では女性が競技場などでスポーツ観戦することは多くの場合、イスラム教上の見解で禁止されている。イランは男子がことしの世界選手権で6位に入るなど、アジア屈指の実力を誇る。(共同) 』

2014年11月14日金曜日

13,Nov.2014 明後日からThailandのBangkokに行きます

明後日の15日にPhnom Penh空港からバンコクのドン・ムアン空港に飛びます。

バンコク市にはサバナブミ(Suvarnabhumi)という長~い名前の国際空港がある。私も、この空港を4回ほど乗継で訪れたことがあるが、名前の通り、トランジット(乗り換え)のための通路も長~い。世界最長の通路ではないかと思えるほどだ。

この通路は数キロある。一応。動く歩道なのであるが、電動歩行機に乗ってトレーニングしているようで結構カロリーを消費する。一度、道を間違えると、戻るまで、また時間がかかる。初めて、ここを利用する旅行客などは困るに違いない。

今度、利用するドンムアン(Don Mueang)空港というのは、もともとのタイランド最初の国際空港で、その前身はタイ空軍の空港であった。この空港であれば、さほど大きくもないであろうから、通路で迷うこともないと思う。

バンコクに行く目的は、観光ではない。お仕事で6泊7日滞在する。

明日は、準備で忙しくなる。

12,Nov.2014 APEC, そしてASEAN Sumit

アジアの政治・経済が動いている。

このところ、メディアには連日のようにAPEC(エイペック:Asia-Pacific Economic Cooperation;アジア・太平洋・経済協力)のニュースが流されている。いわゆる、環太平洋地域における多国間経済協力を進めるための非公式なフォーラムのことである。

中国の特別行政区である香港が参加しているため、参加国・地域を指す場合には、「国」ではなく「エコノミー」という語が用いられる。「非公式」となっているのは、「公式」とすると、台湾も参加しているので、台湾を国家として認めてしまうので、そうすると中国が参加しなくなるという、色々複雑な事情があるようだ。

ともあれ、議長国の中国、日本、アメリカ、ロシアという大国がお互いの政治的・経済的な思惑を巡って対する様子を見ていると緊張感が伝わってくる。

そして、今日からはASEAN Summit(アセアン:Association of South‐East Asian Nations)が始まった。、ASEANとは、東南アジア10か国の経済・社会・政治・安全保障・文化に関する地域協力機構である。TV報道を見て驚いたのは、その場にオバマ大統領や日本の安倍首相がおり、ASEAN各国の首脳とまた個別に協議していることである。

国際政治の世界は、誠にダイナミックである。

文化(スポーツ)交流などは、政治・経済・社会・安全保障の後に出てくる協議課題であろう。しかし、文化(スポーツ)の充実していない国は、どこか暗く、堅苦しい印象を受ける。人類が発明した文化(芸術、芸能、学術、文学、音楽、スポーツなど)は、社会の風通しを良くするソフトパワーであると私は思っている。

2014年11月13日木曜日

11,Nov.2014 日本への郵便物を投函した

きょうは、昨日、日本からの小荷物を引出に行った中央郵便局に、今度はカンボジアから日本への郵便物を投函しに行った。

本当に日本に郵便物が着くのであろうか?地方の郵便局から日本に出した手紙やはがき類は、時々届かない場合があるような話も聞いていたので少し不安であった。

昨日と入口は違っていた。小荷物引取所は、正面玄関から少し離れているところであったが、郵便物の投函に関しては正面玄関であった。建物はフランス領時代の建築物である。次回は写真を撮っておこう。

さて、カンボジアの中央郵便局は、どんなところかな?と興味津々で玄関に入って行った。総合案内所があり、そこで国際郵便を出す窓口を聞いて、その窓口(EMS)に向かった。

手紙の中身は私の署名が必要な重要な書類であったので、書留速達にした。郵便料と合わせて総計$20(2千円)であった。私の持参した封筒をビニール製の国際共通のパッケージに入れ、私が記入した送り状をパッケージの表に貼って投函された。

一件落着。

何事も、まず自分でやってみなければわからないものである。これで次回には、誰か一緒に連れて行って、教えてあげて、その次は指示だけ出せば、やり遂げてくれるであろう。
まずは、自分で体験することで、指示も間違いのないものになると思う。

帰り際に、受付の女性と会話を少し交わして、冗談を言って笑顔で玄関を出て、車に乗って郵便局を出てから気づいた。領収書をもらうのを忘れた!


2014年11月11日火曜日

10,Nov.2014 郵便局に国際小荷物を引き取りに行った

日本の千葉県船橋市の郵便局から小荷物を送ってもらった。

私の家内にとっては、初めての海外への送品。5ヶ月前の日本からの送金の時も、地方銀行では取り扱っていないとか、手数料がなんでこんなに高いの?とか、海外との関係を持つのは面倒!
と感じたようだ。特に、お金に関しては、世の女性は敏感だ。

ましてや、複数の銀行を経由していく毎に手数料を取られる。重いものを運んでいる訳でもなく、コンピューターの画面上で操作しているだけで利益を上げていることに納得いかないのであろう。

そして、今度は、小荷物である。

日本で梱包する前に、日本の郵便局で、これは送れません、これもダメですね、と随分と間引きされて、必要最低限の物品だけ送られてきた。歯ブラシが2本入っていた理由は解らないが、まずは我が家内の初めての海外送品が無事成功した。ご苦労様でした。(やれやれ・・・。)

カンボジアでは郵便小荷物はアパートメントまで配達されない。郵便局から連絡があって、
引き取りに行くというのがこちらのシステムらしい。しかし、連絡がない時もある。今回のように。

1975年に私が青年海外協力隊のバレーボール隊員で北アフリカのアラブの国であるチュニジアに派遣された時に日本から小包が届いた。送り主は、以前、私が新宿区内で大学浪人生活を送っていた時に、ママさんバレーボールチームを指導していたのであるが、そのチームのあるママさん選手からであった。

小包を開けてみると、日本の食品やらお菓子がたくさん詰まっていた。目の前の小包が東洋の端の小さな国から、はるばる北アフリカまでたどり着いたかと思うと、一つ一つの食品が愛おしくてなかなか手を付けることはできなかった。



2014年11月9日日曜日

07,Oct.2014 何かが違う

カンボジアに来て、そろそろ6ヶ月になろうとしている。

前に進んではいるが、あまりに遅々とした歩みなので、さほど手ごたえを感じない。砂の上で、全速力で駆けようとしても、前への推進力が砂の中に吸い込まれていくような感じである。走り甲斐があまりない。

そのような時に、どこからか懐かしい声が聞こえてきた。

青年海外協力隊の初代水泳隊員としてカンボジアに派遣された中村昌彦さんのしゃがれ声が聞こえてきた。

カンボジアに青年海外協力隊の第1陣4名が派遣されたのは1966年。この1年前に協力隊は発足したばかりであった。この4名の中に初代水泳隊員の中村昌彦さん(日本大学水泳部出身)がいた。今から48年前のことである。しかし、1970年3月18日の無血クーデターによりロンノル政権が樹立され、国内は混乱に陥り、協力隊員は全員引き上げとなった。

「お~い。元気か? なになに・・・僕が行っていたカンボジアに今、渡邉君がいるのかい? それは、それは奇遇だな。バレーボールの指導で来ているんだって? 結構じゃないか。君の得意分野なんだから遣り甲斐があるだろう。いや・・・ありすぎるか? あっ・・・は、は、は・・・」。

「中村さん・・・笑い事ではないですよ・・・。なんか・・・私は・・・疲れています」

「10年程前だったかな・・・ほら、私の勤務先の協力隊事務局特別業務室というのが新宿の住友ビル内にあった時に、渡邉君が訪ねてきてくれて、帰りがけの夕方に新宿駅の近くで一杯やった時のことを覚えている? あのとき、君は良いことを言っていたよ」

「先輩の記憶に残るような良いことを私が言っていましたか?」

「うむ・・・言っていた。きょうは、その言葉をあんたに返そう」

中村さんは、そう言って、私のお酌するコップ酒をぐいと飲み干して、普段でも大きな目を更に見開いて口を開いた。

「『あわてず、くさらず、あせらず』頭文字を取って『あくあ』・・・ラテン語で『水』という意味だと、あんた言っていたよ。それを、そっくり、あんたに返すよ。まあ、まあ・・・肩の力を抜いて、あんたらしくやって行けばいいんじゃないの? ほら、飲んで、飲んで・・・」

中村先輩は、2年前に亡くなった。まだ70歳代半ばだったはずだ。

中村さんの声がすーっと引いて行った後にパソコンでカンボジアにおける青年海外協力隊の歴史を調べた。今までも何回となく調べたのであるが、スポーツ関係の資料は見つからなかった。ところが、きょうは、なんと中村さんの派遣時代の写真が出てきた。驚いた・・・。
(後列中央に中村さんの笑顔が見える。プノンペンから車で6時間のところにある中核市バッタンバンでの水泳指導のときの1枚だ。プールなんかなかったから川で指導していたのでしょうね。写真の中の子供たちは、今60歳代になっているはず。しかし、1970年からの内戦で生存者はほとんどいないと思う。こんどバッタンバンに行ったら中村さんの教え子たちを訪ねてみよう)
 

 

2014年11月7日金曜日

06,Nov.2014 Water Festival (水祭り)- day2(二日目)

昨夜の花火大会は、自宅のアパートメントの屋上で観た。

花火の打ち上げられている近くで見れば、もっと楽しいのであろうが、私はもともと人混みがあまり好きではないたち(性質)なので、遠くから見物して楽しむことにした。

風がそよそよと流れて涼しい屋上から見るカンボジアの花火も風流である。日本各地で見た花火大会を思い出した。日本の花火大会で一番楽しかったのは、私の二人の娘たちがまだ幼かった頃に家族で見た花火大会である。

花火大会には子供たちの驚きの声が良く似合う。夜空に打ち上げられた花火がサーッと大輪を広げ、暫くしてからドン!とお腹に響くように鳴る。その音に合わせて「わあ~」「キャ~」という子供たちの甲高い声が響き渡るのが良い。

4年ぶりに再開されたWater Festivalであるが、プノンペン市に見物に見えた人の数はどれ程であったのか新聞で確認してみた。当局の発表では例年約200万人が地方からプノンペンに押し寄せていたということであるが、今年は約30万人ほど少ない、ということであった。

2014年11月6日木曜日

05,Nov.2014 Water Festival が開幕

カンボジアでは、正月に次いで国民的なお祭りであるWater Festival(水祭り)が開幕した。

この水祭りは、カンボジアの首都プノンペン市とアンコールワット遺跡のあることで有名なシェムリアップ市の2つの市で11月に行われる、雨期明けを祝う祭りである。

祭りを盛り上げる王宮前でのボートレースは、16世紀のカンボジア王国時代に水軍の勢力誇示のために行なわれたボートレースを起源とする説など諸説がある。

開催は4年振りである。実は2010年のときに大勢の観客が橋の上にも押しかけ、300名以上の見物人が不幸にして折り重なるようにして圧死した。
  

この3年間、主催者の行政側は、「水祭り」開催を取りやめてきた。

お祭りは、本日から3日間、開催される。初日の今日は、恒例のボートレースで幕を切って落とされた。会場は、メコン川に通ずるトンレサップ川である。4年前参加のボート数は440隻であったが、今年は245隻と激減した。

理由は、ボートレース開催の告知が1か月前であり、練習など準備ができなかったこと。もう一つは、前回の事故の影響で、人々にはまだ不安があり、出場を見合わせたチームが多かったことである。

実際、昨日の観客数は極端に少なかったようで、出店などの売り上げは例年の半分以下と新聞で報じられていた。

主催者である行政側は、安全に細心の注意を払い、警官の数も増やした。特別手当(bonus)も1日につき5㌦付けた。確かにメインストリートには普段よりも警官の数が多い。見回りには一部軍隊も協力している。

この3日間、いや火曜日から金曜日まで4日間、スポーツの行事も、練習も一切ない。おかげで、私は自宅の近くのCaféで連日、このブログを打っているという訳である。

アパートメントに戻って、部屋の中に入ると、管理人が置いて行ったものと思しき「カンボジア風バナナちまき」が置いてあった。正月やお盆などお祭りには欠かせないカンボジアのお菓子である。材料は、もち米にココナッツミルク、バナナ、白糖の代わりのヤシ砂糖、これらをバナナの葉で包んで蒸し焼きにする。

どこからかお坊さんたちの読経の声が聞こえてきた。ここも、仏教の国なのだ。