本日の深夜に、ブログへの投稿がありました。県高校トップのバレー部に所属していた高校3年生の娘さんが県の春高バレー予選会直前になって退部したとのことの記述でした。理由は、監督さんから「チームに必要なし」と宣告されたからということです。元々Bチームで活躍していて、レギュラーではなかったとのことですが、投稿された親御さんの書き込みからは、レギュラーでなくともチームの一員でありたいのに、それさえも否定された我が子が哀れとの思いは伝わりました。現在は、地元のクラブチームで楽しくバレーボールをつづけられているとのことで何よりです。
私は、そのチームの10数年前までの監督は良く存じております。その後、コーチから監督に昇格した先生も知っていますが、現在の監督は知りません。バレーボールが上手でなくとも部活に入ってきた子供は全員チームに必要な子たちです。指導者は、子供たちにバレーボールの楽しさを指導することが第一の仕事です。勝つことの努力はその次です。そして、学校の校則、部の規律を遵守するなかで、一人ひとりに役割があります。コート上で活躍する人、コート外で活躍する人。社会での会社組織と同じです。目立つ部署の人間だけでは良い結果は出せません。商品の企画・開発・マーケティング・工場での生産管理・商品管理・発送・経理・苦情処理などは、現場の営業や広報宣伝ほど目立たない部署ですが、必要な部署です。多くの子供たちを管理・指導、つまりチーム経営できる自信がなければ、始めから少人数での部構成にすればよいのです。
部の規律を守り、仲間を尊敬でき、バレーボールが好きな子供であれば、チームに不要な子は一人もいません。今回の投稿のようなケースは現場で結構あります。最終的には、子供たちは監督が嫌い=(イコール)バレーボールが嫌い、になるケースが多いです。今回のケースは、バレーボールは嫌いにならずに、地元のクラブでバレーボールを再開したようですが、稀なケースです。全国高校体育連盟では部活のこのような問題はレポートなどで表に出てきません。(私自身は、論文でまとめてみようと以前から考えています。)
子供が部活を辞めざるを得ないケースは、経済的な理由、勉学との両立ができないとの理由、部の友人との不和・いじめ、指導者との確執、親との衝突、病気など色々あると思います。子供たちの3年間は、指導者にとっては長い指導者生活のごく一部でしょうが、子供達には取り返しのできない貴重な時間です。現在、私は60歳近いのですが、高校生達の時間は、今の私の3倍のスピードで進行しているとも言えます。だから、私達指導者は一日一日を、一人一人を大事にしていく必要があります。
私は大人になる直前の高校生が好きです。それは、未知の世界に対して不安や恐れがあるものの真剣だからです。バレーボールというスポーツは、たかが遊びですが、高尚な遊びにすることもできます。心と心が真剣にぶつかることでプレーする人にも、見る人にも、支える人にも感動が生まれ、勇気や元気が出るからです。そしてチームが変わり、学校が変わり、地域社会が変わり、日本が変わっていくパワーが生まれてくるからです。スポーツを発明してくれた先達たちに感謝します。
最後に、講習会で私が指導者の方達にお願いする言葉を記して終わります。
「皆さんは、チームで監督さんやコーチです。しかし、子供たちがいなければチームはできないのです。そんな当たり前のことを思い出して子供たちに感謝をして今後も指導を継続してください。先生達のDNAを子供たちに伝えてバレー大好きな人を増やしてください。先生方の夢をその子たちが引き継いで実現してくれる場合もあります。監督がいて子供たちがいるのではなく、子供たちがいて監督をさせてもらっているという考え方を時にはすることも無益ではないと思います」
1 件のコメント:
ブログに投稿した者です。あのような投稿を真摯に受け止めてくださり、感謝しております。おっしゃられる通りレポートなどでは表に出ない現実だと思いますし、個人的な偏見だとあしらわれても仕方のないことです。
娘が辞めた理由は「チームに必要なし」と告げられたことより、平気で人を傷つける言葉を使える先生であったことに幻滅し、尊敬出来なくなり、信頼し続けられなくなってしまったからだと思います。ご自身は「バレーボールに育ててもらった」と良くおっしゃられていた方です。バレーボールを尊重する心は、『言葉』というものに対しても・・・(何に対しても)同じように持っておられる方の筈でした。JVAの規定などでは、言葉や腕力の暴力を禁止しています。スポーツの試合では大概ルールがあり、守れなかった者は、そのスポーツをする資格がなくなり、退場となります。ルールを守らなければ成り立たない社会に共通する事柄です。指導者の言葉の暴力の行使は、子どもたちにルールは守らなくても良いと教えているのと同じです。ただ、嫌味や否定で奮起させる指導のつもりだったのかもしれませんが、信頼の絆を失ってしまうと、それらは、ただの「言葉の暴力」となり、愛の鞭も「恐ろしい凶器」になってしまうのだと思います。
大人になる前のあと少しの子ども時代を、もっと誠実な感覚の大人たちの中で生きて欲しいと、私は本気で思いました。
担任の先生は、「新しい次のことに進んでいいんだぞ」と娘の思いを理解して、退部という決断をきちんと受け止めてくださいました。力強い身近な大人の支えでした。4月になり、残り1年の高校生活を生き生きとしっかり楽しもうと、新学期も清清しい気持ちでスタートできました。
そして、夏休みに入る頃、今のクラブチームに本気で誘ってくれたのが、そのクラブチームのOGで、ママさんバレーを続けている普通の近所のおばちゃんでした。何も聞かずに、「私も練習に行くから、一緒に行こう。チームの若い子たちがうんと頑張っているから是非来て。」と、車を我家の玄関に横付け連れ出してくれたのです。7月20日のことでした。チームの皆さんも、温かく迎え入れて下さいました。バレーボールを再開するのは稀なケースと書かれていましたが、バレーボールをずっと続けてきた方々に、「一緒にやろう」と言っていただけたから再開できたのです。バレーボールを支えている皆さんの中に、ちゃんと、バレーボールが好きな子どもに元気を取り戻させる力があるのだと思います。本当に心からありがたいと思いました。
娘は、歴代最高のBチームセッターになるという目標を持っていました。Bのセッターは試合では控えです。2年間の練習で、自分の力で、どんな場面での交代でも必ず監督の期待に応えてみせる自信も持ち始めていました。「Aのセッターをライバルとは思っていない」と、本当に自分の役目を自分なりに固め、そこに磨きをかけていこうと大きな希望に向かい始めていました。それが監督が望む自分へ思いであり、監督への自分の思いでもあると信じていたのだと思います。このチームにいたからこその力であり、バレーボールを学んだ2年間に後悔は全くないのです。娘にとっての2年間は有意義であったことに間違いはありません。(他では身に付けられなかったと今でも言っています)そんな矢先のある出来事が、尊敬と信頼を覆し、どんなことがあっても辞めないという信義を守り通すことを断念させたのです。娘はバレーボールが好きだから、辞めたのです。それは、このバレーボール部でなければ持ち得なかった強さだと思います。
娘は、部の規則を守る力も、仲間同士が尊敬しあえる力も、大人である(憧れや尊敬や信頼の先にいる)指導者の姿を鑑とし、活動のあらゆる全ての拠りどころにしていたのだと思います。しかし、それは残念なことに、娘の勝手な思い込みでした。私は、この指導者たちはいったい何を守ろうとしているのだろう?と、疑念に眠れぬ夜もありましたが、単に指導に、娘の感覚が合わなかったのだと思うことにしました。しかし、その後も辞めてよかったと、ふと思ってしまう様なことが耳に入るので、多少の懸念はどうしても拭えません。私の心の中には、誰もが目を引く洗練された名実伴った部活であって欲しいと願う気持ちが少なからずあります。
今のチームは、10月に仙台で開催される全国大会に出場します。娘は予選には出ていないのに連れて行ってもらえます。先日は、県№1の実業団チームとの試合も経験させてもらい、セッターとしてコートに立たせてもらえました。こうなったからこそ、体験できることがあります。9人制も初体験です。
誘ってくださったママさんとチームの監督さんや皆さんとJVAとスポーツを発明してくれた先輩たちとわたなべ先生とこのブログに出てくる全国のバレーボールを愛する方々と支えてくださった皆様に感謝して、きっとバレーボールをずっと続けていくであろう娘を見守って、私も元気に楽しみたいと思います。ありがとうございました。
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