本日の朝刊は円高続伸の記事と谷亮子参議院議員の柔道アスリート引退の話題で社会面もスポーツ面も埋まった。彼女が参議院選挙に出馬した時もそうであったが、ヤワラちゃんの清々しさにマッチしないどこか違和感が今回もあった。
結論から言うと、政界に入ろうと決心したのも、トップアスリートを引退しようと決心したのにも、彼女の意思があまり感じられなかったからである。参議院選挙に出馬した時、子育てをしながらもスポーツを楽しめる社会環境作りが必要と自覚したことは、我々も大いに歓迎であった。トップアスリートが運動の先頭に立っていただけるのは心強い。しかし、彼女がいきなり国政というところで彼女の意思を貫き通すことは、オリンピックでメダルを7個取ることとはまた違う努力、能力が必要とされる。オリンピックで金メダルを取る能力は特殊能力である。日本の方向性を決める政治家の能力も特殊なものである。その意味では、宮崎県知事に当選した元芸能人の方は使命感は人並み以上あっても知識と経験不足を大学院に入学して地方自治を学習することで不足を補い、現在合格点で職務を遂行している。
引退記者会見で、彼女の隣に座っていた民主党の大物議員とのツーショットが「政治とスポーツの関係」を象徴的に表している。彼女が選挙に出馬した時も、当選した時も、引退会見のときも「政治ありき」でスポーツが見事に利用されている。思い出せば、大相撲の貴乃花が凄絶な取り組みで優勝を遂げた時の千秋楽で、時の首相が「感動した!」と褒め称えたとき、その首相の高感度は上がり、内閣支持率は上がった。まさに、その首相がメディアを通じて大相撲という国民的スポーツイベントの高揚感を上手に利用した構図であった。今回の記者会見にも、それと似たような感覚がある。
政治とスポーツの関係の歴史は、オリンピック発祥のアテネの古代からあった。日本でも、政治のことを「政りごと=まつりごと」と言う。まつりごとは「祀りごと」「祭りごと」にも通じる。昭和39年の東京オリンピック、2年前の北京オリンピックもその国が世界に広報宣伝活動する絶好の機会として効果を上げた。私は、それば悪いとは言わない。言いたいのは、政治にスポーツが利用され翻弄されるだけでなく、スポーツが政治を活用して健康で平和な地域作り、国作りの推進にもっともっと寄与できるということを言いたい。
ヤワラちゃんは、トップアスリートを引退しても柔道を止めたわけではない。その意味では、日本経済新聞の見出しの「現役引退」は正しい見出し記事であるが、朝日新聞の「柔道引退」は誤った表記である。彼女が柔道を隠し技にして政治家として活躍できる道は多くある。例えば、柔道家でもあるロシアのプーチン首相とは乱取りした後に外交会談をすることで息が弾む、ではなく・・・話が弾むであろう。
フランスでは日本国内より多い柔道愛好者の歓迎の元、スポーツ省大臣とスポーツ談議が弾み、フランスに見習って日本にもスポーツ省設立の弾みになるかもしれない。南米に行けば、日本から移住された多くの日系人がやはり柔道を通じて日本に愛着を持っている。
今回の記者会見は、柔道の「ヤワラちゃん」から政治家の「谷亮子」に向かって邁進する決意表明と見た。政界のアンフェアな反則に負けるな、谷亮子!
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