2010年7月31日土曜日

7/27(火) 闘将、中村祐造氏逝く


 当日付の各新聞紙上で中村さんの死去が報じられた。先週、新潟県にいた時も入院していることは耳にしていた。来年、6月の長野県北志賀高原ホテル田川での第5回中村祐造杯では復活した祐造さんの元気な姿と再会するはずであったのが残念なことになってしまった。中村祐造さんといえば、50歳以上のバレーボール関係者であれば皆知っている、1972年のミュンヘンオリンピック男子バレー金メダリストで主将である。試合中はシャツを肩口までまくり上げ、筋骨隆々たる上腕を振りかざし、まるでポパイのようにパワフルなスパイクを相手コートに突き刺して暴れまくった。

 20年前であろうか、バレー教室を私がお手伝いしたことがある。「わたなべ君、2段トスはこうやるんだよ」とコート後方18mからオーバーハンド・パスでポーンと楽々レフトへトスされた時は驚いた。さすが金メダリストだな、常人とは違うと感心したものであった。

 享年68歳は若すぎる。20日に亡くなっていたとのことである。最近は2009年新潟国体特別コーチを務め、ママさんバレー交流大会の創設、ソフトバレー交流大会開催への意欲を示していた。私達は祐造さんの遺志を引き継ぎ、創設された交流大会を継続・発展させることで中村祐造氏を語り続けていくことがお世話になった御礼と考えている。合掌。
(画像は20日付けの日刊スポーツ紙の記事。「よっ!わたなべ君、元気だったか?」祐造さんの元気な声が聞こえてくる。ミュンヘン秘話をもっと聞きたかったな~)

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