2011年8月16日火曜日

8/13(土) FIVBコーチコース受講 第6日 



 本日の講師は、久方ぶりに再会した方達であった。一人は千葉県にある川崎製鉄千葉病院の整形外科スポーツ整形前部長の岡崎先生。先月亡くなった俳優の原田泰造にて渋い二枚目である。先生は1990年前後の全日本男子チーム帯同のスポーツドクターであった。リハビリも非常にユニークで、広島修道高校・千葉大学でエースアタッカーで活躍した経験を生かし、病院内に体育館を作りバレーボールへの復帰を早めるためにバレーの練習をしながらリハビリを行うものであった。全日本男子はもちろん、実業団の日立女子や八王子実践のバレー部員も多数治療に通っていた。当時、蔭山選手という2mの高校生を擁して春高バレーで優勝した千葉県習志野市立習志野高校が優勝した陰には、岡崎先生のバックアップも多分にある。監督は千葉大学バレー部で3年先輩の田部井先生。田部井先生から頼まれてチームの面倒を見始め、その縁で全日本男子付きスポーツドクターとして、1988年のソウルオリンピックに帯同することとなった。
 この日、午後にトレーナーとしてキネシオタイプのテープの貼り方を指導してくれたのがNEC女子で長くトレーナーを務めた岩崎氏。若き頃、アメリカの大学院を修了しただけあり英語はよどみがない。現在はスポーツトレーナー派遣会社を経営している。スポーツ系大学の講師も数校務めているようだ。
 疲労が積み重なってきた。香港から受講してきた大柄な中学校の先生が、捻挫して救急車で地元の病院に運ばれていった。夕方になって、戻ってきたときは、包帯も痛々しく松葉杖を突いていた。海外で怪我するとは彼もツキがない。
(画像は、講師の岡崎先生と。前夜に先生がお着きになり、豊田先生から夕食を一緒にしなさいと指示され、講師の先生方と一緒に受講生の私が食事に招かれた。六日町市内にある小料理屋さんで岡崎先生とバレー談義が始り、お酒も地元の八海山を頂き満足な夕食であった) 

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