2009年11月25日水曜日

 アジアの国際審判員生みの親、池田久造氏逝去


 現(財)日本バレーボール協会会賓であり、審判審査委員会委員長、FIVB審判委員会主事を歴任されました池田久造先生が、かねて病気療養中のところ薬石効なく11月19日(木)ご逝去されました。

 私の知っている池田先生は、いつも帽子をかぶりダンディないでたちで背筋をピント伸ばし、お話になられる紳士然とした方でした。先生との初対面は1980年モスクワで開催されたオリンピック会場でした。 そして、1982年アルゼンチンでの第10回男子バレーボール世界選手権に私が社命で単身視察に行くことになり、池田先生にご相談したところ、 FIVB競技委員長で重鎮のMr.ホルベイをご紹介され、丁重な紹介文を頂いた覚えがあります。お蔭にて、アルゼンチンでの業務活動が スムーズに行きました。

 また、先生ご著書の「バレーボールルールの変遷とその背景」(日本文化出版1985年)は、大変な労作で、先人が苦労されてルールの改・修制をおやりになっていた経緯が 詳細に記されており、私の大事な蔵書の一つとなっています。 指導者は技術、戦術に長けているだけでなく、「ルールの精神」を良く理解することでゲームが成立することを先生の著作から学ばさせていただきました。現在、私が日本ソフトバレーボール連盟で審判規則委員長の重責をかろうじて果たせているのも、先生にお目にかかった29年前モスクワでの出会いがあったからこそです。お聞きしたいことはまだまだあったので逝去の報に接し悔やまれます。
 先生、安らかにお眠りください。 合掌
(画像は先生の著作。先生は、1915年神奈川県のだ原市生まれ。1936年日本体育会体操学校高等師範科(現日本体育大学)卒業。1941年大日本排球会常任理事に就任以来、一貫してルール、審判関係の要職に携わってこられた)

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