2010年5月22日土曜日

5/22 ママさんバレーあれこれ


 5月19日(水)全国家庭婦人バレーボール大会千葉県予選会千葉市予選が千葉市天台体育館にて開催された。我がママさんチームも出場し、ベスト4まで残り、県大会出場32チームの中に入った。そして、これで私の5年間にわたるそのチームに対するコーチ活動も終止符を打つこととなった。
 ママさん単独のチームを5年間にわたりコーチしたのは、私が19歳以来のことであった。故郷の山形県を出てきて浪人生活2年目の新宿区に住んでいたときに、ふとした縁で「弥生クラブ」というママさんチームのコーチになった。その時のメンバーの一人がその後、私の結婚式の親代りをやっていただいた荻原さんだ。その荻原さんのご主人は2年前に他界されたが、ママさんバレーボールから私はいろいろな影響を受けている。
 いずれにしろ、千葉のママさんバレーチームのコーチ活動には、昨日突然終止符を打った。メンバーとは別れの言葉も交わせなかったが、そんな別れも劇的で良いかなと自虐的に思っている。しかし、本当は皆にきちんと別れを言いたかった。
 さて、本日は江戸川区主催の春季大会最終日に出かけた。昼で帰る予定が、役員と話し込んでいるうちに役員のチームの試合評価を頼まれ、とうとう決勝戦終了の7時近くまで江戸川区総合体育館に
いることになった。来月から江戸川区連盟登録チームへの私の「出前コーチ」が始まる。来週は神奈川県大和市のママさんチームへの第2回「出前コーチ」もある。私のアドバイスがママさん達のバレー技術の向上に何らかのヒントになっていただければ嬉しい。私の20歳前後の浪人生時代に助けていただいたママさんバレーの方々に遅ればせながらの恩返しと考えている。
そういえば、浪人3年目の時代に下宿近くの世田谷の焼き鳥屋さんで良くお会いしていたのは、全国家庭婦人バレーボール連盟初代理事長の安西さんであった。その当時、私は世の中にこんなにエネルギッシュなオバサンているんだなと感心したことを覚えている。数年後に現在のスポーツメーカーに就職して、私はその安西さんを病院に見舞うことになる。筑波大学名誉教授の杤堀教授とお見舞いに伺ったのであるが、その数日後に安西さんは帰らぬ人となった。
 なんか、今夜は色んなことを思い出す夜となった。千葉市のママさんチームのみなさん、突然消えるように去ってしまってすみません。それだけが心残りです。
(画像は愛読者でママさんバレー愛好者のKさんから送られてきました。撫子(なでしこ)の花。鮮やかで可憐ですね「撫でし子」と語意が通じることから、しばしば子どもや女性にたとえられ、和歌などに多く参照されます。)

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