2014年2月10日月曜日

Sun.Feb.9,2014  関東ソフトバレーボール交流大会開会式に間に合った

朝、古河駅に移動。7時半の時点で、上野行きの上りは不通、宇都宮方面の下りは3時間遅れ。動いているが、途中で止まっているという情報も聞こえた。

さあ、どうする?何でもやらなければいけない総監督兼キャプテンの私は、古河市のお隣の結城市に住むソフトバレー先輩の顔を思い出した。茨城県ソフトバレーボールと言えば、茨城県を代表する顔である望月さんである。大きな目を見開き、ソフトバレーボールを熱く語る望月さんに、とにかく連絡してみた。

現状を話したら、8人乗りの新車を購入したばかりだから我々7名を載せて会場まで運ぶよ、と当たり前のように自然に仰ってくれた。結城市から古河駅まで40分、古河駅から栃木県宇都宮市清原体育館まで1時間半、望月さんは運転中いつものように目を大きく見開き、ニコニコしながら運転してくれた。

ソフトバレー仲間に感謝!


十数年ぶりの大雪、1/3のチームが棄権、組合せ変更・・・そのようなバタバタした中でも大会は進行されていった。我々が出場した60歳以上の部のチーム数は3チーム棄権で5チームの完全リーグ戦になった。結果は2勝2敗。3ゲームがフルセットで男性陣2名の我がチームは11セットフル活動。

午後の試合は3試合、休憩わずかの連続試合。男性陣2人は両足が筋痙攣を起こし、動きが鈍くなってきた。私は13年前に左足のアキレス腱を断裂している。あの時は地域の招待試合で男性は私一人でもプレーできるというルールであった。セット数は既に12セット消化していた。あと2点ですべてのゲームが終了、優勝という時であった。サーブレシーブ時に後方から足首をゴーンと蹴られた感触があったので、後ろにいる女性を振り返った。どうしたの?という怪訝な顔をしていた。私はすぐに悟った。これがアキレス腱を切るということだ!

そんな過去の記憶が蘇り、もう一人の男性にもブロックはジャンプしないで立ったままブロックしよう、無理はよそうと提案し、第3試合はそれで乗り切った。試合はフルセットで辛勝。休みなく始まった次の最終試合では、もう限界であった。その試合はストレートで敗退した。試合後、怪我なくプレーできたことに感謝しあって、チームは満足感で一杯であった。

思い出に残る関東大会となった。大雪という状況の中でも集まった仲間のチームに敬意を表したい。あるチームは当日の朝5時に家を出て間引きでも動いている新幹線に乗り宇都宮に着き、バスに乗り換えた。そのバスのチェーンが外れ立ち往生したが、大会本部が車を出してくれて開会式に間に合ったという。そういった仲間たちと旧友を温め、関東バレーボール連盟の役員の皆さんとも日本のバレーの状況などもお聞きすることができた。日本バレーボール協会の評議員が今回2名見えていたので昼食時間に情報交換ができた。
(体育館脇のバス停で記念写真。帰りは一緒になった千葉県ソフトバレーボール連盟の会長と理事長も一緒になってパチリ)
帰りの電車の運行はスムーズであった。会場からバスで宇都宮駅へ、そこから上野を経由して雪はほとんどない東京駅へ着いた。電車ってこんなに早く動くんだ、改めて新鮮に感じた。東京駅内のレストラン街で皆で夕食を採り、船橋駅に戻った。1泊2日の旅と試合であったが4日間ぐらいの疲労を感じた。

みんな、お疲れ様でした・・・。愚痴も我儘も文句も言わず総監督を助けてくれた我がチームを誇りに思います。  

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