2014年3月27日木曜日

Thu.March 27,2014 Passport申請

海外に出るのは何年ぶりであろう。恐らく15年ぶりぐらいであろう。ミズノ(株)勤務時代は、途中入社した翌年の1980年のモスクワオリンピックに出張派遣された。その2年後であったか、こんどはメキシコシティーでのユニバシアードに出張となった。当時の私はフランス語はできても、スペイン語はできなかった。しかし上司は、「フランス語を訛(なま)れば、通じるだろう、つべこべ言わずに行け~」という具合で僅か4人の社員でロスアンゼルス経由で行った。

その後、行かされた国は、アルゼンチン、台湾、ハワイ州、香港、そして15年前のポルトガルのリスボンであった。全て全日本男子はじめ日の丸バレーボールチームであった。

リスボンでは、世界ユース女子選手権大会があり、私は全日本高校選抜女子チームに帯同した。成績は優勝であった。監督は八王子実践高校の菊間先生。その時のチームには、高校2年生で身長184cm、サウスポーの選手がいた。将来の全日本女子のエースと有望視されていた。藤好(ふじよし)さんである。彼女は茨城県の高校を卒業後、当時日本一常連の日立に入社して活躍した。・・・現在の彼女は、東京都ソフトバレーボール連盟に登録してソフトバレーをこよなく愛している。6人制よりソフトバレーのほうが奥が深くて、楽しい!と言っている。

リスボンから帰国の途に就いたとき、ちょっとしたハプニングがあった。出発する飛行機が遅れてしまい、ドイツのフランクフルト空港で乗り換える予定の飛行機が先に飛び立ってしまっていた。選手団の総務の先生が青い顔して、私のところに走ってきた。「渡邉さん・・・どうしよう?」

困ったときの渡邉という風評が、日本での合宿も含め、選手団と過ごした2週間でできあがっていた。ちょっと待て、ここは日本ではない、ドイツだ、さあ~どうする?とりあえず、カウンターに行って
フランス語でフランス人のように大げさにジェスチャーも付けて説明した甲斐があったか、代わりの飛行機に乗れるように手配してもらった。

「ナベ、良くやった!君はワシの席にここから日本に着くまで座らせてやる。そして、ワシが君の席に座る」と団長である全国高体連バレー専門部部長の又木誠八郎先生が仰った。ジャンボの2階席に行くと、団長の席は、なんとファーストクラスであった。お酒は飲み放題で席はフカフカ広々としている。スチュワーデス(今のCA)は美人過ぎる。そして、本来私が座るはずであった一般の3列席の真ん中で又木先生は女子生徒に挟まれてニコニコしてしている。しまった!団長の策にやられた、と気が付いたのは後の祭りであった。恐るべし又木先生。さすがに40歳代で神奈川県立高校の学校長に就任しただけある。

その又木先生も2年前にお亡くなりになった・・・。
(千葉県中央旅券事務所の入り口。千葉駅から歩いて5分のところのビルの中にある)

そんなことを思い出しながら、 今日は、千葉市にある旅券事務所に行ってパスポート申請をしてきた。意外と簡単に申請は受理された。4月4日以降に受け取れるということだ。

0 件のコメント: