2011年5月18日水曜日

5/18(水) 宮城県岩沼市から支援品の御礼が届いた

 岩沼市には、今まで10回以上訪問している。今年2月に急逝した宮城県ソフトバレーボール連盟理事長の三浦さんは、その岩沼市役所にて防災課長も歴任したベテラン行政マンであった。

 3.11の震災では、岩沼市は太平洋に近い地理でもあり、津波の被害に遭った。市の総面積の48%にあたる約29平方㎞が浸水した。180人が死亡。田畑1240㌶が塩水に浸かった。地震で家屋も倒壊した。隣接している海沿いの市町村の被害は更に大きく、岩沼市は自らも被災を受けたが、多くの避難者の居住地となった。数多くのソフトバレー交流大会を開催し、私も15年前から毎年のように講習会講師として訪れた市総合体育館は、現在、遺体安置所になり、身元の分からない方達の魂が行き場を失っている。

 岩沼市を私以上によく訪れるソフトバレー関係者に佐藤三幸さんがいる。ソフトバレーの世界では、山形県ソフト連盟副会長として、全国的に名前が知れ渡っている人であるが、正式な名前を呼ばれたことはほとんどない。「サンコーさん」と呼ぶと、佐藤さんは「さんこうまでに言いますと・・・」などとボケを返してくる。

 そのサンコーさんから、先月、岩沼市に支援物資を送りたいので協力願いたい、との緊急のメールが入った。さっそく私は、押し入れにある、なるべく未使用品を中心に衣類を送った。そして、本日、会社のメールに礼状が送られてきた。添付の画像を開けると、サンコーさんと岩沼市在住の宮城県ソフト連盟役員であるエミコさん達が支援品集積所の前に立っている。その脇に私が送った段ボールがある。段ボールの表面には「渡辺さんありがとう」と書かれている。別の画像には、集積所で並べられている衣類とそれらを選んでいる避難者の方も見える。

 私は、他の地域にも衣類などを僅かではあるが、送らせていただいたが、具体的に、このように、この地で役に立っているという情報を頂いたのは初めてである。そして、あの衣類たちが、お役に立っているんだなと素直に嬉しかった。

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