2013年7月24日水曜日

Tue.July 23,2013 茨城県日立市 二日目

午前中は、今回の茨城県立日立北高等学校主催講演会を企画された緑川さんのご案内で日立製作所記念館を訪問した。元日立バレーボール部OGの白井、矢野のお二人、実は日立製作所の歴史をよく知らないという。

広い敷地内を我々のためにチャーターした中型バスで総務の方に案内して頂いた。日立製作所は日立鉱山付属の電気機械修理工場に端を発し、1920年(大正9年)、株式会社日立製作所として独立した。小平(おだいら)波平氏が創業者である。小平氏は、鉱山で使用する西洋から輸入の電気機械を国産で作ろうと努力し実現させた創業精神旺盛な方である。日立鉱山、そして日立製作所が工業都市日立市発展の原点である。1905年当時、人口2千ほどの日立村が現在では20万人の工業都市になっている。

小平氏の言葉で「夢は大きい方が良い」というのがあった。私もまったく同感である。私の夢は、日本人のバレーボール指導者が世界到る所で活躍することである。勿論、それにはまず私が成功事例を作り、その後に後輩指導者を世界に飛び立たせる環境を作らねばならない。

午後に、今回のメインの目的である茨城県立日立北高等学校での講演会のために学校に訪問した。この講演会は学校のPTA会長を務める緑川さんが校長先生にご提案して実現した。約350人の部活生徒だけの聴衆は、床の上に座って真剣なまなざしで我々の話を聞いてくれた。
(左から、私、矢野さん、白井さん)
説明を追加

講演会を終えて、生徒たちに「金メダルに触れてもいいよ」と言った直後、今までおとなしく座っていた生徒たちが雪崩のようにステージに駆け付けてきた。そして、金メダルを手に取り感激の面持ちで眺め、重さを確かめ、さすっていた。




トークショー形式の講演会の後、矢野さんはお仕事のために山梨県甲府市の自宅に帰り、白井さんと私は緑川さんの伯父さんの割烹料理店に案内された。昨日は土用の丑の日であった。一日遅れの蒲焼、白焼きを贅沢にも沢山いただいた。

普段粗食の私の胃袋はおそらくビックリ仰天したことであろう。他にもアワビ、生ガキ、白エビのてんぷらやカツオのお刺身を清酒久保田で頂き、大満足の夜が更けていった。






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